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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

母の足を切断する決断を迫られている

今日は午前11時前に家を出て、特養→病院→特養→スーパー→郵便局、と回って帰宅したら5時前でした。疲れた…。

 

病院の付き添いは、待つのが仕事、という感じで、隣接病院の看護師さんが一緒に動いて采配してくださったので、私はぼーっと待ってただけですが、なにしろ病院という場所なので、これがものすごい疲れる(ーー;) 私、霊感はないけど、負のパワーは身体が勝手に反応しちゃうんだよね~。だから疲労度が倍加されるみたいです。

 

 

血液検査や心電図、心エコーなどの検査のあとで、整形外科の先生に診察を受けて、やはり母の右足の褥瘡は半端なくひどいらしく、細菌感染が全身に回ったりしないように、予防するためにはやはり切断しかないようです。右膝の上から。

 

でもこれも私と看護師さんと共に母も一緒に聞いてたんですよね。で、「絶対に嫌!」と言うんですね。母の反応が思いの外しっかりしているので(通訳は必要ですが)、先生もその意思表示を無視して進めるわけにはいかず、母も突然の宣告でショックを受けたんでしょう。とにかく拒否が強いので、一旦、保留にして返事を休み明けまで延ばしてもらいました。24日ですね。

 

本当は認知症が強い患者さんなら、24日入院、29日手術って決定されてたみたいです。

 

帰宅後、おじ達に電話で相談しましたが、「やはり生命を一番に思うなら手術しかないと思う」と二人に言われました。私個人は「先生は命が助かる確率が高い方から提案されているので、それを考えて一番後悔しないと思うことを選んでね。どれを選んでも駄目な時は駄目で、それはやっぱり『寿命』なんだと思うし。でも離れて暮らしていても、生きててくれるだけで私は嬉しいな」と言い残して帰ってきました。

 

おじたちの意志を伝えるために、明日は無理でも明後日にでもまた行って来ようかと思っています。きついわ…。きついけど頑張らないと、今後のことを叔父に伝える役目もあるので、スケジュール調整をお願いするとしてもそれも踏まえて。(さっき電話で聞いたけど、もうすでに忘れそうだ~ (ーー;))

 

我が家は私でもっている、と叔父に言われたけど、母も弟も手がかかるからしんどいです (ーー;) 世間はシルバーウィークなんだよね。介護家族の家にはそんなもの関係ありません。

 

 

 

待ち時間の間、暇だったので、障害者手帳を眺めておりました。取得は平成16年になっていました。2004年か…。2006年の1月には父が倒れたから、そこから在宅介護に突入して、2009年の10月に父が亡くなって、介護疲れで半分ダウンして。それが完璧に戻らないうちに2013年の10月に母が倒れるし…。障害者手帳も介護と一緒に歩んだみたいです。

 

京都市の場合、市バスや地下鉄、公共施設が無料になったりするんですが、しんどいのと介護とでどこにも行く余裕はなく、市バスに数回乗っただけですね。10年あまりで…。母が入院して、季節が今なら片道くらい体調がましならバスで病院まで行けないかな…。

 

介護をしているあいだに私自身も歳を取り、さらに疲れて仕事に出るどころじゃなくなって…そういう10年だったなあ、と。ちょっとしみじみ思い返してしまいます。

 

甘えている場合じゃいられない精神障害者が私なんですよね… (;゚∀゚)
つねに介護とセットみたいな運命。

 

 

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