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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

メメント・モリ

頭痛がするけど眠れなくて、かといって机の前に座ってもなにも手に付かないので、創作は無理だと諦める…。で、とりとめなく考えていたら、ここしばらくは本当にずーっと希死念慮とお友達だったなあ、と気が付きました。

双極性Ⅱ型というのは自分を責める病気らしいですが、責めるというよりむしろ怒ってました。 全然思うように動けないからさ。怒りつつ疲れてた。

まあ、基本的に生きていること自体に疲れていたということです。だから地震が来ると言われても逃げる気にならなかったんだなあ…。家が倒壊してもそれで仕様がないし、どのみち助かってもその後に生活を再建する気力もないしさ、と思ってました。

そういう受け身の死に対する受容はずっとあるような気がします。ただ、積極的な自殺には至りませんが、これは私の中に強固としてある法則に基づいているのだと思います。途中でリタイア不可、次にまた最初からやり直さなきゃいけないよ、という。誰に言われたのかわかりませんが、なんだかそれがものすごい強い存在としてあって、ゆるぎないのですね。

私が感じているスピリチュアルに近いか?と思われるものは既成の宗教にもどこにもないと思うので、本当にどこから来て、いつのまにこんなに強固になってしまったのか不思議ですが。

わからない人にはいくら説明しても理解不能で、辿り着く人はおのずと辿り着くシンプルなものだと思いますが。

仮に車に飛び込んだら運転者に大迷惑だし、高いところから飛び降りても同様だし、リーマスの中毒は半端じゃない苦しさらしいので、それはやりたくないし。実際にやろうとしても「何か」に強い力で止められる。(信じられないと思うので信じなくていいですよ)

余命いくばくもない人と替われるものならいくらでも替わってあげたいですが、現実問題としてそれは不可能ですし。なによりもその人の人生は最期の一息までその人の大切なものだから、それを奪う権利は誰にもありません。(むしろ穏やかに見送る方が性に合っています)

…ということで、結局自分の天命が尽きるまで、死んだ方がずっと楽に思えることでも生きて耐えて生き続けないと駄目なようです。ただこういう私が信じている法則とか摂理とかは別に私だけが知っていればいいものなので、布教もなにもしませんから~ (^_^;)

私なんかまだまだ全然未熟ですし、大変なことの方がずっと多いと思うけど、それでも生きなきゃ駄目なんだなあ… (ーー;) 未熟だからそれだけに死なせてもらえないのかもしれない…。それでもある日突然死んだということだったら、天命尽きたか、と思ってやってください (^_^;)

ふと、同じ病気の人と話してみたくなりました。人数はすごく少ないと思いますが、日本にも海外にも双極性Ⅱ型の患者さんはいると思いますし…。なにか出来ることないかなあ…?検索してもあんまりそういうサイトにぶつからなくて。少ないだけに孤独を抱えている患者さんもいるんじゃないかなあ、と。

…って、死にたいとか思いつつ、こんなこと考えるのって… (ーー;) 「死」について思う時、かえってどこからかエネルギーみたいなものが湧いてくるのか??

まあ、本当に「元気な自分は一度そこで死んだ」ということを受容しないと、と言われてますが、なんかビミョーに難しそうな気もしてくるではありませんか (ーー;)

よし!なんかちょびっとだけ前向きみたい。ちょうど夕方でもあるし (^_^;)

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