お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「思想としての「医学概論」―いま「いのち」とどう向き合うか-」

 やっと読み終えました。内容的には難しいものではなかったんですが、まあ、いろいろ考えさせられる意味と、ハードカバーを読む姿勢が私には現在ちょっときついという意味で… (^_^;)(肩と首がすごく凝る)

私は医療関係者ではありませんが、個人的に哲学と医学の間に距離が存在したというのがものすごく意外に思えました。私にとってはその二つは非常に近いものでしたので。

それでも今後はさらにいっそう、その二つの距離は縮まらざるを得ないと思います。医学というのがすなわち「いのちを考えざるをえない」ものであるかぎりはね。臓器移植や出生前診断や老人医療など、いずれも真剣にいのちの意義と意味に向き合わざるを得ない課題ばかりです。

そしてそれらは一般の市民にとっても真剣な思考と対応を突きつけるテーマであるに違いないのですが。世界というのは本当に綿密に繋がっているなあ、と強く感じさせられる本でもありました。

なんというか、生命への畏敬の念というか、そういうものを忘れてはいけないなあ、としみじみ。お医者さんが最善の手を尽くしても、それでも救えない生命というのもあるわけで、それは寿命とも運命ともいいますが、人が手を出せる領域の外にあるものじゃないかなあ、と思うのですね。

私は昔から、わりとそういうものに気付く方かもしれません。

まったく情報が存在しない人に対してはあまりわからないから、脳の無意識の部分が情報処理していて、それを直感的に見つけるだけかもしれませんが。

 たとえばタレントさんが「こういう病名を告げられたので、しばし休んで治療します」とかいう場合、その人が無事に回復して復帰されるか否か、実は大抵わかってしまったりします。その人がどんなにその会見の時にお元気そうでも、「もう帰ってこられないだろうな…」と瞬間的にわかってしまう時は複雑な思いです。

別にオーラを見てるとかそういうのではないので、観察力が鋭い人や本当のお医者さんにもわかるかもしれません。私のはなんだかいろいろ「直感」なんだな、あくまでも。

前にも書きましたが、アマチュアの作家志望や漫画家志望の人たちがプロになれるかどうか?は100%の確率でわかります。これも昔から。だからたまに「賞に応募してみたら?」と言うこともあります。

父の死後、漠然とした「守護の存在」というものをより強く感じるようになりました。

まあ、父が居てくれるのは確実ですが、それ以外にも守護してくれる誰かが複数身近にいてくれると感じています。霊感はないので、それがご先祖様だか、神様だかはわかりませんが。私個人がピンチの時に助けてくれるのはやはり父のようです。なので心の中でしばしばお礼を言ってます。

父については物理的なことはまだいろいろあって、母が仏壇の前で話しかけるといろいろなことが起きる、というのはまだ続いています。このあいだはガーベラのような花が1輪だけくるりと1回転したらしい (^_^;) 母もまだ認知症ではないし、蝋燭の炎のことなどは私も間近で見てるんで、まあ、そういうことをするのは父だろうな、としか思えません。弟を見つけてくれたのも父でしたしね。

父以外の存在は、私個人のことにはあまりかまわないように思えます。ただ、私個人の願いを超えて、多くの人たちのことや世界規模のことについては時々、ちょっとしたサポートをくれているような気がします。だからそちらには個人的なことは頼みません。

なんだかたまーに忘れたころにささやかなご褒美をもらえたりするけど…。ですからやっぱりしょっちゅうお礼は言ってる気がします。

こういうのってなんだろうな。宇宙人でも神様でも守護霊でもなんでもいいけど、そういう存在を感じると、自然に傲慢になるな、天の意志を聞け、人に親身であれ、誠実であれ、真摯であれ…と、素直に思えてくるのですよね。

天の意志というか、地球の声というかとにかく人間を超えたものが存在すると思うと、生命に対しても謙虚でいられるようにも思うのです。

Copyright (C) 2001-2018,Haruusagi All rights reserved.