父の存命中、我が家には長らく「犬&猫の飼育は禁止」というローカルルールが存在しました。
これは父のきわめて個人的な理由によるものです。別に動物嫌いだったわけではなくて、かつて父は子供の頃に可愛がっていた飼犬(子犬)を手当ての甲斐も虚しく死なせてしまったことがあって、それがずーっと後年までのトラウマだったようです。
二度とそういう思いをしたくなかったみたいですね。結局それだけ愛情を注いでいた証明のようなものかもしれません。
そうはいっても子供というのは基本的に動物が好きです。私や弟も縁日で売られていたヒヨコとか、基本的に籠の中にいるんだし、部屋の中じゃなくて玄関に置いておくし…、と理由をつけてセキセイインコなどを飼っておりました (^_^;)
甥や姪が生まれてからは、2階の部屋で飼える小動物、うさぎやらハムスターやらシマリスやらが次々とやってきて、私もそれを覗きに行くのが結構楽しみでしたっけ (^_^;)
玄関ではさらに迷い鳥を保護してセキセイインコを飼い始め、弟が雛を連れてきたオカメインコも同居することになります。
全部の動物が同時期にいたわけではありませんが、それなりに小動物はいつも家におりました。
まあ、基本的に家の中を自由にうろつく犬や猫とは違いますが…。
で、父の死で、現在そのローカルルールもなくなって、家の中にもいくばくかのスペースが出来たわけですが、今度は飼える立場の人間の方が気力と体力がなくなってきたわけです (ーー;)
犬や猫も健康な時はいいのですが、病気になった時、治療費がかかるだろうな、とか、病院に連れて行くんだよね、やっぱり…とか考えると、人間としての責任を先に考えてしまって、なかなか「なんとかなる」とは思えなくなってしまっております。
そういうことを考えると、子供のために「生命の大切さを教える」という意味でも、動物と暮らすこと、それから祖父母や曾祖父母などと暮らして学べるものの大きさに気付きます。
生あるものは病むことも傷つくこともある、そして寿命が尽きれば死に至るという当たり前のことです。
トラウマになるほどの痛みこそ、実は人間として非常に大切な経験なんじゃないのかなあ、とつくづく思いますね。