相変わらず午前中は相当に気分がよろしくありません。
それでもラミクタールがなくなって、自転車の修理が出来ただけでもいくらか気持ちが楽になったように思えます (^_^;)
<その1>
『ネトウヨとは何か? これは若者たちがのめり込む「愛国という名の階級闘争」だ』
http://s.news.nifty.com/magazine/detail/sapio-20120903-01_1.htm
こういうのを読むと、なるほどなあ、と思う反面、おおもとの嫌韓とか嫌中感情ってやっぱりどこからきたんだろう??と不思議に思います。
やっぱりどう考えても直接に韓国や中国の人たちと関わってきて、それで自分が体験したところから生まれた感情ではないような気がします。
あらかじめ、ある程度形作られたイメージだけの先行する相手に対しての感情のはけ口というか…。中国での反日デモを見るのと、ちょうど合わせ鏡のように存在してますね。
で、双方の不満の根っこの部分には自分たちが現在おかれている社会環境への憤りが存在しているという…。
お互いにとってどうしても不幸な図だとしか思えないのですが…。
私自身はあんまり左右のどちらかに極端に傾かない人間なんで(でもどちらかというと、やや左寄りかも…)自分が生まれ育った国への愛情が強くあるのと同様に、他の国の人にも強い祖国への愛情があるのは当然だし、お互いに尊重はしないとね、ということで、どこにも矛盾がないのですが…。どうやらそうじゃない人も少なくないんだなあ、というのが残念です。
こういう時は少し過去に遡って、見つめ直して、反省すべきところは反省し、修復すべきところは修復し、改善するのがいいよね、やっぱり…。では具体的にはどうするのか?
こういうことは本来専門にやらないといけない人たちがいるじゃないか、と思いつつ、気付いてしまうと市井の一般人でしかない私でも無視出来ないものがあるようです… (ーー;)
考えることは少なくとも無駄じゃないと思いたいなあ…。
<その2>
いまさらなんですが…。どうも私は右脳のかなりの部分を使って文章や本を読んでいるのではないか?と、最近気付きました。
まあ、ごく一般的には言語脳のメインを司るのは左脳だと言われていますよね。もちろん100%を左脳が担当しているわけではなくて、右脳も働いているわけですが…。まあ、結局は左右どちらの脳も必要なわけですが。
もしかしたら私は一般的な人よりも右脳で読むウェイトが重めなのかもしれません。どおりで数多の文章の中に「読みやすい文章」と「読みづらい文章」があって、その違いが要するに「イメージしやすいかどうか?」で違ってくるみたいなんですね、私の場合。
文章なり本なりを読んでいる際に、無意識の働きでその内容が脳裏にイメージとして画像展開されているようです。「情景が眼に見えるように浮かぶ」のが私にとっての「読みやすい文章」で、その逆が読みづらい文章なんですよね。ジャンルを問わず。
読みづらい文章の典型というと…いかにもなお役所的文章とか。それから取り扱い説明書の類いとか。まあ、これは図解の部分がわかりづらさを助けてくれていますが。あと、法律関係の文章もかなーり読みづらいですよね~。きわめつけに保険の約款とか…。(これは内容以前に文字の小ささに引きますが)
ここから逆に考えると読みやすい文章とか、心に訴える文章の書き方、なんていうのもわかりそうな気がしますね。…いや、そういうことではなくて…。
なんというか、私個人に限定してですが、こういう微妙にささやかなことで読むスピードにわりと影響があるんだなあ、ということがわかってきました。さらにもしかすると理解力にも差が出来るのかもしれないな、とも。
まあ、ヴィジュアル脳なのを今更嘆いてても仕方がありませんが、こういう自覚があると、この先も効率良く頭を使えるようにならないかなあ、と思った次第です (^_^;)
脳にも癖のようなものがあるのかもしれませんね〜。