今年は従姉の上の子供が大学を卒業して、母校とその他の学校でも教鞭を取るそうです。
甥や姪の時も思いましたが、生まれた時から知っている子供たちが成人して、ちゃんとした職に就く、というのは、結構不思議な気持ちになるものですね。自分の子供がいないから、余計にそういうことを感じるのかな?
まあ、なんというか、世界中の子供は自分の子供のような気がする昨今ではありますが… (^_^;)
いい加減に書くのも嫌になっていますが、まだ体調はよくありません (ーー;)
毎日微熱も続いていますし…。
さすがにあんまり寝てばかりいるのはかえって疲れるかもしれない、と思って、昼間はなるべく座っているように心がけております。
ちょびっとずつお絵描きもしておりますが、なにしろ根気が続かないから、思うように進展もしませんね。仕様がないですが。
毎日わずかずつでもなにかをしていれば、そのうち完成に近づけるかな?と思って諦めずにいたいものです (ーー;)
これは誰にお勧めするわけでもなく、私個人が生まれてからいままでの間に学んだり気付いたりして納得してきたスピリチュアルの法則です。(もしくは「宇宙の摂理」と言い換えてもかまいませんが)
(1)この宇宙には人智を越えるサムシング・グレートが存在する。
(2)肉体が滅しても魂は滅することなく残る。
(3)魂は転生する。ゆえにこの肉体を持つ世界は魂の修業の場として存在する。
非常にシンプルな法則ですが、少なくとも私個人の生活を律するものとして、これが存在するのは確かです。
自殺出来ないのは、途中で今生の修養を勝手に切り上げてしまうと、また1からやり直さねばならないから、なんですよね。
マラソンの途中で棄権するような感じで…。もしも現在7〜8割方クリア出来ているとしたら、また最初からやり直しは嫌ですよね。
すごくしんどい現在ですが、こういう課題は今生限りでクリアしたいものです (ーー;) だから、相当しんどくても辛くても、自分で死を選ぶことは出来ない次第です (ーー;)
あと死刑反対派であるのも、この法則に基づいております。
重罪を犯した犯人は、この世で懲役何百年という時間をかけて、わずかずつでも罪を償う必要があります。それも肉体があるから可能なことですね。
犯人が自らの罪を悔いて反省する機会がないうちに、死刑に処してしまうと、彼らはなんら悔いることなく、またすぐに生まれ変わります。そして、下手すると、前世と同様とか、さらに重い罪を犯す危険性が高いのです。
これらのことはあくまでも私個人の信じる法則ですので、いろいろな違うご意見があっても当然だと思います。
が、少なくとも私自身には生まれてからいままでずっと何十年もかけて追求してきたことですので、他のどういう宗教よりも確かで確立したものだったりするのでした…。
これがあるから、いまも生きているのかなあ、と自分でも思いますしね。