午後、しばらく横になって、やっと頭痛が改善しました。
母の友人のTさんに電話する。
Tさんにはいつも「あんたは強い」と言われます。
確かに最近でこそ、自分はメンタル強いかなあ、と思うけど、
昔、わりと人生が順調に流れていた時にはそういうことって
わからなかった。普通に仕事して、趣味で漫画を描いて、同人誌作って、と
やっている頃にはそういう困難自体想定していなかったし…。
それがどうでしょうね。双極性障害にはなるわ、介護するはめになるわ。
…それも自分一人で、というのもものすごい想定外だったなあ…。
それでもひとつずつ乗り越えてきたからなあ…。経験値が上がって、
余計に強くなったのか、強くなってからその自分の力に気付いたのか?
…まあ、どっちでもいいですが… (ーー;)
だからいま現在、人生が順調で、でも自分はそんなに強くないから、と
思っている人でも、いざとなったら火事場の底力を自分の中に発見するかもしれません。
生きてみないとわからないってことですよね〜。早く諦める必要はないですね。
そのことよりも、Tさんと話していたのは、うちの母のように人のために
懸命に生きてきた人でも、こういう晩年になってから、多難に見舞われることが
あるのって意外だね、ということですね。
「もっと悪人が穏やかに過ごして、穏やかに死ぬこともあるやんか」とTさん。
まあ、そうだなあ。人のために頑張ってきたのに、と思うと、母の晩年は
理不尽な感じがするけれども、まだ誰も身内がいないのではなくて、
私や弟やおじたちがいるだけでもましじゃないかなあ、とは思います。
痛い思いや、辛い思いをするのは可哀想ですけれども…。
そういえば確か、実に多くの人のターミナルケアをしてこられた
エリザベス・キューブラー=ロスさんだって、晩年は脳梗塞で
不自由な身になって、そのことを呪うように思っておられたらしいですから…。
どうも人生というのは理不尽なものなのかもしれません。
そのあたりを考えると、自分が望むように自由に死ねない点で、犯罪を犯した
人の終身刑(懲役何百年とかいうケース)は、死刑よりも辛いものかもしれませんね。
魂の存在を肯定するとしたら、肉体はやはり檻のように思われたりしますしね。
でも肉体があるからこそ、経験することも多いのだから、その使用限界が
来るまでは充分に生きないと駄目だなあ、と思います。
使い切るまでね。