昨日は素材を作ったり、ちょっとだけ頑張り過ぎた気がするので、今日は日記も休もうかと思ったんですが、ちょっとだけでも… (^_^;)
今日はマッサージの日でしたが、お昼前の時間帯でしたので、朝からは100円ショップに買い物にも行ってきました。
が、私が買い物に行ったあとは、必ずというほどに左の背中から腰にかけての凝りというか疲労というかが半端じゃない、ということになっているようです (ーー;)
でも斜め掛けのバッグとかは重くないし、店内ではカートを使ってるし、往復は自転車だし、どこかでおかしなスタイルというか、無理な力がかかるような姿勢の悪さがあるのだろうか?とか、ちょっと自分でも悩んでますが…。
もしかしたら靴とかも関係あるのかなあ?私は夏冬問わずに普段はクロックスのマリンディを愛用しているんですが、これが足が痩せたのか、もしくは靴が伸びたのか、余裕が多くなってごそごそしがちではあるんですよね (ーー;)
最初から長めの距離を歩くとわかっている時は他の靴を履くんですが…。本当にサンダルだとマリンでディになってるしなあ…。あれも良くないのかな?10代の頃に膵臓を悪くしたことがあったので、多少気になる場所ではありますね。
まあ、そんなわけで、じっくりとほぐしていただきました。これの効果が3,4日持続するといいのですが、それも無理なのが悩ましいですね〜 (ーー;)
先日読んだ本。「グリフィンとお茶を」荻原規子・著
なんというのかな?さまざまな動物に絡めて、著者なりの「ファンタジーとはなにか?」を問う、エッセイであり、なおかつ読書案内にもなっています。
荻原規子さんとはほぼ同世代ということもあって、読書履歴というか、傾向というか、そういうものが見事にかぶるんですね。
同じ頃に同じ本を多分同じように読んでいた、という読書歴が、です。その意味でもそれぞれの作品を思い返しつつ感慨に耽る1冊でもありました。
思うに、私や荻原さんがたまたま子供の頃に出会った「少年少女世界の名作文学」という児童向けのシリーズが、いまにして振り返ると、あらゆる作品への入門としてかなりいいものだったのではないかしら?とも改めて思いました。
いま現在でもああいうシリーズがあってもいいと思うんですが…。思えば恵まれた時代の片鱗だったのかもしれません。
この本の中で、ミュージシャンの菅野ようこさんが話しておられる絵本についての考察が実に興味深いものでした。人生の最初に出会った絵本が、その人のその後の人生を表すものになる、という考察ですね。この「出会い」といいうのはそれだけのインパクトがあって、いまだに忘れられない、という意味です。
荻原さんの場合は「舌きりすずめ」だったそうです。
だとすると、私の場合は「かぐやひめ」だなあ。絵本ではありましたが、手抜きされないきちんとした美麗な絵で表現された平安世界が私の現在の原点であるのは確かだと思います。
でも物語のほうはどうだろう?数多の求婚者に難題を出して、帝の求婚も拒んで、育ての親であるおじいさんとおばあさんにも別れを告げて、月に帰っていくという設定が示唆するものは…??
かぐやひめは天界で罪を犯して、地上に落とされた、という説を知ったのはずっとのちの話ですが…。
月に還るモチーフというのはやっぱりあれかな?この地上を修業の場所だと認識していることに近いのかなあ?かなりスピリチュアルな意味が深そうですが…。
そのあたりの解釈で考えると、現在の私自身がこういうふうに存在しているということが、なんとなくわかるような気すらしてくるから不思議です…。
あなたにとっての「初めての絵本」はなんだったのでしょうか? (^_^;)