今日はまた寒いですね。本当に激しい気温変化です。嶺
昨日はマッサージの先生が来られたのがお昼前で、それが終わって昼食が1時くらいになってしまいまして、結局夕食は抜きにして、日が暮れてから前もって作っておいたおにぎりを夜食にしたのでした。ほとんど運動らしきことも出来ていないので、さほどカロリーも必要ないと思うんですが…。
綾 おかげで私もわりと早い時間帯からお布団で横になったり、また起きてPCに向かったりを繰り返しておりました。蓮
創作らしきことがなにも出来ませんでしたが、まあそういう日もあるかなあ、と思っております。いろいろと問い合わせ関係のメールの返事とかもありましたし…。
で、まあ今日もわりと早くに起きております。すでに郵便局とコンビニには行って来ました。 それと裏通りの本屋さんにも。こちらは雑誌だけ頼んであったんですけどね。
気がつくと、ギャラリーサイトの50万アクセスが次第に見えてきまして、この分では来年までは待てないなあ、結構早いかもしれない、とちょっと焦っております(^^;)嶺
やっぱり記念になにかフリー配布の作品くらいは描きたいなあ、と思うんですが。次に描くならそれを意識しておかないといけないかなあ、と考えております(^^;) まあ、なかなか思うようにはいかないのが創作、っていう世界なんですが…(ーー;)怜
私などは特に頭で考えて描いている意識があまりないので、ただひたすらにイメージが降りてくるのを待つしかありませんし…。それが降りてきても、まだ充分なイメージ通りに表現出来たことがありません。蓮
悔しいけれども、それが私の限界なのかなあ…。…かといって、そこで諦めるのもまた悔しいですし、やっぱり続けている限りは上手くなりたいとは願っております。嶺
「これが私です」と言えるものがあるとすれば、それはやっぱり「絵」しかないと思いますし…。
この間からぼちぼち楽しんで読んでいたシリーズ本。「赤ちゃんと僕」。
実はこれもリアルタイムに雑誌で連載を読んでいた懐かしい作品です。漣
ママを交通事故で亡くした小5の拓也くんが、春美パパとまだ赤ちゃんの実くんの子育てをしながら自分も成長していくっていう形かな?彼らを取り巻く、実に多くのキャラクターが登場しますが、それが全部いいんだなあ。どういう感情も自分がいつかどっかで感じた気持ちだと共感出来ることが多いというか…。劣
子供たちからお年寄りまで多種多様な年代のキャラが登場しますが、基本的にやっぱり癒されるというか、家族について考えさせられるというか…。
興味深かったのは巻末の解説で、特にタケカワユキヒデさんの「男は女性というものを『まったく別の謎の存在』として見てしまうけど、女性は男の子でも『自分と同じ』だという視点で見てしまう」というような解説など、面白い視点でした。鍊
だから女性が描く男性キャラ(特に少年などは)は感受性が女性的だし、逆に男性作家が女性を描くと「本当に謎めいた存在」になる、というあたりとか…。なるほどなあ…と感心しつつ読みました。劣
あと、落合恵子さんの解説はご自身の介護の日々と並行して書かれているのですが、「子育てと介護はどこか似ている」という話にもとても同意出来ました。私もそうでしたし…。
私は子育ての経験はありませんが、身近で甥や姪の成長を見ていたのと、父の介護を通していつのまにか「親がかわいい対象になっていく」という経験もしましたし…(^^;)怜
ただ、それぞれの果てにあるものは子育ての場合は「成長」ですが、介護の場合は「別れ」なんですよね。でもいずれにしても命の面倒を見る日々のあいだで、もとは「育てている」つもりの自分が同時に「育てられている」というのに気付くんですよね。烈
いずれの場合も真剣に相手の命と対等につきあった分だけ、自分が得るものが非常に大きいと思えます。劣
…笑われるかもしれませんが、私にとっていつのまにか父はイコール「地球そのもの」みたいな存在になっています。
父を想うと地球のことを想い、地球のことを憂えると父を想う…みたいな…。で、ふと気がつくと自然と涙が出ていたりするのでした…。