今日もやはり起きるのが辛い朝でしたが、それでもちょこっと早めに起きて、昨日で足りなかった食料品を買いに行ってきました。やっぱり毎日食べるものはなくなるのも早いです。嶺
基本的に菜食っぽくなっている私ですが、フルーツヨーグルトは好きで毎日食べていますので…。さすがに毎日エクレアっていうのは贅沢かなあ、と思ってたーまに、っていうことにしようと考えておりますが…(^^;) PCの前に居る時はたまに京飴などを口にする程度ですが…。怜
で、買い物のあとはぼちぼちとシールサイズの原稿作りの続きをやっております。現在出来ている分は花のカットが60枚分、10センチ四方で描いているのを4センチ四方に縮小してA4の台紙2枚に並べてみる…。どうも半端なサイズのあまりスペースが出来るから、それに合わせてまだ8枚前後のカットを作らないといけませんが…。
こういうことをしているのは楽しいですね。次の新作の前のインターバルというか、徐々に気分も浮上してくのがわかるから、余計に嬉しいです。鍊
こういうものを作って、はたしてニーズがあるかどうかは悩みますが、基本的に自分が楽しいことだからよしとしよう(^^;) 仮に数十枚でも出来たらサイト内で販売しようかなあ、とか考えたりしております。
もともと印刷も可能な360dpiで作っていますので、このデータ自体を素材として欲しい人がいるかも、とも思うんですが…。まあ、そのあたりのことはまたあとでゆっくりと考えます(^^;)嶺
あー、でも印刷屋さんの指定の650MBのCD-Rがなかなか見つかりません。困ったなあ…。蓮
昨夜読んでおりました本。1996年出版とありますが、私が出会ったのは今です。でも今だからこそ意味があるのかなあ、と思った本ですね。
著者の鈴木秀子さんはシスターなんだそうです。でもご自身が臨死体験と思えるものを経験されたようで、それ以降に、人生の最期に消える命の炎がひときわ明るく燃え上がる瞬間に立ち会って、その人の人生の総決算のような想いを聴き取るような「看取りびと」の立場に立っておられます。
そのご自身が体験された「看取り」のあれこれが書かれているんですね。人は自分の死期が近づくとわかるらしく、最期の想いを誰かに話したくなるものらしいです。死に行く人に呼吸を合わせて付添って、その話を聞いてあげるだけで、その人は安らかに旅立つことが出来るみたいですね。烈
うちの父の場合、本当に死の直前は意識も頭の働きも信じられないくらいにクリアーになっていましたが、言葉に出来たらもっときっと言い残したいこともあったんじゃないかなあ、と思えるのですが…。それが気掛かりといえば気掛かりですが、でもあの安らかな死に顔を見たら、あれで良かったのかなあ、と改めて思ったり…。
江原さんなども「身寄りもお金もない人のホスピスを建てる」と言われていましたが、やっぱりそういう気持ちになるものなんだなあ、と思います。マザーテレサにしてもそうですし…。生まれる時と、死ぬ時と、人生の一番崇高な瞬間に立ち会えることって幸せなことだと思います。私も可能ならばそういうことがしたいなあ、と思うくらいですね。
寄り添って手を握って、静かに呼吸を合わせて…。そういうことが出来るのはやっぱり嬉しいことですよね。生身の身体を持って、根源の光というか、絶対的な宇宙の存在というか、神さまと呼んでもいいもの、愛そのものに一番近づける瞬間なんだと思います。烈
私に身を持ってそれを教えてくれたのも父でした。やはり愛情の深い人でした…。撚