夜中に眼が醒めると左胸がなんとなく痛い…ような気がする。もしかして狭心症?と一瞬思うが、痛みはそんなに深いところからではなさそうだ。で、気付いた。そういえば昨日は母の背中のマッサージをしたなあ、と。
鬱のせいか、母の凝りもひどく、しばしばマッサージを要する。それも指ではすでに歯が立たなくて、肘の骨の硬い部分を利用してこりこりとマッサージするしかない。いつもは私も右手の肘でやっているのだが、あまり頻繁にやるので、肘の皮が剥けてしまったのね(汗)で、仕方なく昨日は左の肘でやったのだ。普段は使わないから、こたえたらしい。…はあ…しかし、それほどにやらないと効かない凝りって困るよなあ…。私たちが通院しているクリニックに受診すれば?と言うのだが、現在お世話になっている内科の先生は乳がんの経緯を診てくれているのもあって、その先生が精神科の薬もくれるから、と言う。勝手に精神科に行くのは気が悪い、という。…困ったものです。「しんどい、しんどい」と言いっぱなしなので、こちらもかなり精神的に疲れてしまう。怜
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「博士の愛した数式」を読んだ。
なんだかこの作品は本屋さんが選んだベスト作品らしいけど…。
内容そのものはわりとシンプルで、心の交流などはいいなあ、と感じた。
が、決定的に自分は数学や数字の美はわからない、ということを思い知らされてしまった(汗)ゼロの観念がすごいなあ、ということなどはなんとなくわかるけど、ただ単に紙の上に並んだ数字や数式を見ても別になんにも感じないのよね。
作品中で博士が数字について、あるいは数式について、いろいろと詳しく説明してくれるんだけど、理論がわかっても、それがなんですごいことなのか、とか美しいものなのか、というのがちっとも実感出来ないのだ。この部分がわかるかどうかで、作品そのものの感動の仕方も多分違ってくるんだろうな、とは思うんだけど…。
従兄には数学の専門家などもいるが、どうも私の中の数学的な遺伝子はあまりオンになっていないみたいだ。一度苦手意識を持ってしまうと、テストの成績でそこそこ取れればまあいいや、と思ってしまうからなあ…。
私が感じる「美」はかなり直感的なものになるような気がする。ぱっと眼で見た時の「絶妙の間」とかはすぐにわかるけど、耳で捕らえて心地よい音というのもすぐにわかるけど…。きちんと論理でひも解いていく数学の美はやっぱりよくわからない。
どうも私はとことん右脳で生きている人間みたいだ。だからこの作品のヒロインのように博士と一緒に感動したりは出来そうにない気がする。ちょっと残念かもしれないけれど、それが事実。数字や数学の美がわかる人はすごいなあ、としみじみ思うけどね。怜