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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

歴史を変えたくないわけ

寒波襲来。そとは雪。部屋の中は冷蔵庫の温度だったりする。季節とは関係ないと思うけど、ゆうべの夢は最悪で怖かった。全面核戦争が始まった夢を見てしまった。頭上をミサイルが跳んで行くし、爆撃機が爆弾を落としていくし…。ああ、もう終わりかも…と冷や汗をかいて眼が醒めた。取りあえず精神安定剤と救心なども飲んでみた。でもまだ頭の中の状態がどこなくおかしい感じ。ここ数日はどうもおかしい状態が続いている。脳みそを取り出して洗濯したい気分だったり。

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昨日の新選組に関するバトンで、思いがけずに自分自身の歴史に対するスタンスを再確認してしまった。

「もしもタイムマシンで好きな時代に行けたらどうするかなあ」とか考えてみたけれど、幕末に限定しなくても、どの時代でも私はあえて歴史は変えないと思う。自分だけが未来のなりゆきを知っているのはアンフェアだと思うので。

それは変えたい過去がないとは言えない。第二次大戦とかね。でも今、自分が生きている現代についても未来のことはわからない。今の自分に出来ることは、今の課題を一生懸命に考えて、よりよい未来になるように賭けて選択していくことだけだ。

それは過去のどの時代に生きていた人にとっても同様だったと思う。情報網が未発達で、今のように充分な量の情報から選択することは不可能だけど、その過去の人々も自分に出来る範囲で精一杯の判断をしてきたはずだし。そういう意志は大切にしたいと思う。

その過去の判断がひどく間違っていて、人類存亡の危機になるくらいの場合はまた違ってくるかもしれないけれど。

これは私自身の人生観にもリンクするのかもしれない。終わり方がたとえ傍から見れば悲劇であったとしても、そこに到るまでのすべての過程で、その人物がただ空しく運命に流されるだけではなく、運命をも受け入れて、その上でその運命を受動的に自らの意志によって選択して行く時、それはすでに悲劇ではないのだと思う。

大切なのは「どう終わるか」ではなくて「どう生きたか」なんだよね。だから私にとっては実は義経ヤマトタケルも悲劇のヒーローではないんだよね。

どうも私は人生の一番の価値観を「どのような結果になるとしても、自分の意志で選択してきたことは決して後悔しない」ということに置いているようだ。だから歴史上の好きな人物には後悔を抱いて死んで欲しくないと思う。彼等が必死に選んできた道だから、そのとおりに死ねたら本望だろうと思うし、その思いを大切に尊重したいと思う。

未来が見えない状況の中でも懸命に選択してきたことや、それに沿った行動のすべてを尊重したい。それが彼等には一番の敬意だと思えるので。

宮部みゆきさんの作品の中で、私が一番好きなのが「蒲生邸事件」だったりするのだが、どうしてそうなのかも今わかった。あの作品はそういう私の思いと同じように描かれているからだ。

「先のことは見えない」けれども人々は希望を捨てない。先が見えないからこそ無茶が出来るのかもしれない。いずれにしてもその時その時に懸命な人々の生き方は一番尊いものだと思う。後の時代から見れば愚かな選択であったとしても、先人の目一杯の選択はやはり大切に評価したいと思うのだ。

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