今日も結構寒い。でも電気ストーブのみで机で作業していたら、足が冷えたせいか顔がのぼせて困っている。そういえば子供の時から末端冷え性のようで、よく手足にしもやけをこさえてた記憶がある。このごろはでもしもやけの子供ってほとんど見ないね。それだけ暖房完備されているからだろうか。私は20代でもまだしもやけをこさえていて、当時働いていた医院の窓口で患者さんにしもやけの民間療法などを教えてもらったりしていた。お薬を手渡す手にしもやけ、というのは結構恥ずかしかった(汗)
朝からお絵描き…、でデッサンからペン画までが完成。続きはまた明日かなあ。あんまり集中力が続かない。暑くても寒くてもそれなりに不自由な気がする。
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現在は中山義秀現代語訳の「平家物語」を読んでいる。この本は中学生の頃、吉川英治氏の「新平家物語」と共に愛読書のひとつだった。当時読んでいたのはハードカバーの古典全集の中の1冊だったように思う。いまでもうちの中のどこかにはあるはずなんだけど、捜すのがすごい大変なので、河出文庫版全3冊というのをこのあいだ買いなおした。
大きめの活字なのが若い人むきなのか年輩向きなのか微妙なところなんだけど(笑)まあ、寝る前にお布団の中で読むには便利なサイズの活字だったりする。
古典には古典の良さがあって、原文で読むのも悪くないんだけど、やはり気軽に楽しめる点では現代語の名訳は親しみやすい。
中学生の頃、少なくとも現在よりもずっと記憶力が冴えていたので、原文の名調子の部分を暗記するのが好きだった。平家物語の巻頭の文章など、いかにもそれにふさわしく、覚えたものを一人でお風呂などで暗唱して楽しんだりして…。いま思えば結構変わった子供だったよなあ(汗)「枕草子」や「徒然草」や「方丈記」や「奥の細道」などなど、リズム感が良くて綺麗な日本語を口ずさむのは気分がよかったのだ。
そもそもまだ2才くらいの私が初めて文字を覚えたのは、当時おもちゃの一つとしてうちの中にあった百人一首の取り札のおかげだった。それと何処へでも絵本を持って行って、祖母に読んでもらっていたことも大きかったんだろうな。その頃は京都御苑のすぐそばに住んでいたので、遊び場所が御苑の中の芝生の上だったりして、そこでも絵本を持って行って読んでいたものである。
…どうもあの時からの趣味嗜好がいまだに続いている気がする。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものだ。専門的な学問の分野には進まなかったので、あくまでも趣味として好きだということなんだけれども。
しかしながら…暗記するのにたいした苦労を要しなかった中学生時代の記憶力がいまでもあったらなあ、と、ついつい思っちゃうなあ(汗)あのころは現代国語と古典の教科書に出てくる作品の原典はほとんど全部読んでいたし、それ以外の科目の受験勉強をしていても余裕があったのだから、もしかしたら人生で一番脳細胞が活発に働いていた時期だったのかもしれない。
日本と外国の文学らしい文学、スタンダードなものを読んでいたのもあの頃。今はあんまり手に取る気もしないもんね(汗)知識欲も旺盛だったんだろうな。
でもあの当時「好き」だから出来ていたことだし、いまでもその「好き」は変わらないわけだし、何ごとにつけても「好き」のパワーは創作でも学問でもすべての源なんだろうな、と痛感する。
覚えられなくてもかまわない。自然にまかせて…味わう楽しみはきっといくつになっても生き生きと変わらないものだと信じていたい。