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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

宗教的じゃない運命と死生観について

 

厭世観はちょっとましになった


昨夜は10時に寝て、久しぶりに8時間近く寝た気がします。まだ若干頭がぼーっとしていますが、厭世観は少し薄らいだ気がします。

 

結構なんとなく「死について」考えていました。まあ、私には珍しいことではありませんが…。

 

私は特定の信仰を持ちませんが、このごろはなんとなく「生かされている」という気がしています。

 

このあいだ書いていた「お天道様が見ている」というのに近いかな? この「お天道さま」は誰も人が見ていなくても非道なことをすると罰を与えます。「天罰」というやつですね。天に唾すると自分に落ちてくるのと同じですね。

 

このあいだ「北朝鮮のミサイルが事故でダメだった」というニュースを聞いて「あ、天罰だ」と思ったのは私くらいのものかもしれませんが…(ーー;)

 

 


大事故や大災害にみる運命のようなもの


大事故で九死に一生を得て助かる人もいますし、大災害で亡くなる方もあれば、奇跡的に助かる方もおられます。特に東日本大震災のような災害で、本当にわずかな差で生死を分けた人の話を聞いたりすると、本当に不思議な気持ちになります。

 

なにが運命を分けたのかわかりませんが、私はなんとなくこう考えてしまいます。助かった人は生き延びてまだやるべきことがあったんだ。

 

不幸にして亡くなられて、遺族に大きな悲しみを残された無念の死を迎えた人も、その大きな犠牲によって、多くの人に訴えるものがあって、全体の改善のきっかけになったこともあるし、遺族がその人の分も力強く生きていこうとする力の源になったのかもしれないなあ…とも…。

 

すべて私が勝手に思っているだけのことですが、だからこの世に「無駄な生命」はひとつもないのです。天命だか運命だか、寿命がある人はその時まで、生き延びる運命にあるかもしれないし、短く定められた寿命の人は普通なら大丈夫、くらいのわずかなことで命を落とされることもあります。

 

 


…だから自然とこういう心境に…

 


…だから、私も、生きているということは自分なりの役目があるから生きているんだと思っています。それがちゃんと出来てからじゃないと死ねないかもしれません。

 

前にも書きましたが、黒柳徹子さんのエピソード好きだなあ。ユニセフの仕事で「寿命があるなら大丈夫だから」と地雷原にずんずん入っていかれるとう話。寿命が尽きていたらアウトなわけですが、これって単に無謀とは違って黒柳さんの中にも「生かされて生きている」感覚が強かったんじゃないでしょうか。

 

いま、私もそれがわかる気がします。

 

生きているうちはこの世での役目があって、それが完了するのが死ぬ時。そういうのって好きだなあ、と(^_^;)

 

 

 


考えすぎて、母のエンディングシートの改訂版がなかなか提出出来てません…(ーー;)

 

 

 

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