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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「食べものの恨み」はいまだ晴れず (ーー;)

「食べものの恨み」というと、普通は「食べたいものが食べられなかった」ことだと思うのですが、逆に「食べたくないものを無理やり食べさせられた」というのもあって、のちのちまでトラウマに近い影響を残すのはむしろこっちの方だよな、と思います。

 

昨日、たまたま、学校給食のことを調べていて、ふと思い出したので…。

 


ウィキペディアの情報ですと、完全給食が始まって行き渡ったのはやはり戦後のようです。

 

もののない時代なので、主にアメリカなどから供出される脱脂粉乳とか小麦粉からのパンなどをメインにおかずも加えた給食になりますね。

 

私が経験したのは小学校校の6年間だけで、中学校はお弁当持参になりました。これは多分自治体によって違うと思いますが、だいたい基本的に小学校は給食だったのではないかと思います。

 


ただし、理念はどうあれ、今から考えたらなんだかいろいろ間違ってたぞ、というのが主に私の経験した低学年時代のことでした。

 

ものがない時代なんだよね。それはよくわかっていました。子供服なんか売っていなかったし、母は進駐軍から提供された古着をほどいて、ミシンで私の服を縫ってくれていましたし、古い毛糸の服をほどいて洗って、再度編み機で編み直すような内職も母がやっていました。

 

市場に行っても魚はあったかもしれませんが、肉類はまだいくらも出回っていなくて、ましてや牛肉なんて、庶民に手の出るお値段ではなく、だからのちのちまでも父の世代の男性には「ご馳走=上等の牛肉のすき焼きやステーキ」という図式が出来ていてもおかしくないと思います。

 

比較的手に入りやすかったのが鯨の肉でした。庶民の手が届く値段で、当時の貴重なタンパク源ではありました。でも私はあれが嫌いでね… (T-T) だいたい匂いが強いものは苦手で、いまにして思うと硫化アリル系統の食べものにちょっとアレルギーがある私ですので…。いや、鯨と硫化アリルは無関係ですが (ーー;)

 

母は鯨の肉にカレー粉をまぶして、カツにして食べさせてくれましたが、それでも多くは食べられませんでした。

 

 


で、当時の給食にはやっぱりが出たんですよね。大和煮みたいになってたかな。それとよく使われるのがマトンですね。ジンギスカンになるようなラム肉じゃないんです。羊料理の世界で暮らしておられる方には申し訳ないですが、硬くて匂いも強いマトンはやっぱりすごい苦手でした。

 

さらに問題なのは脱脂粉乳ですね。ホットで飲めたら一番ましで、半端に冷めたり、冷えたりしたものは即刻ひっくり返したくなるほどまずかったです!!配っている間に冷めるのが普通なので、かなり毎日拷問のような気分で無理やり飲んでました。

 

団塊世代の方で、脱脂粉乳のトラウマで、牛乳も乳製品も一切駄目になってしまった、という人もおられます。「湯葉とか召し上がりますか?」と聞いたら「駄目です」…って、あれは豆乳ですやんか!…豆乳も駄目なようです (ーー;)

 


当時の指導であきらかにおかしかったのは、嫌いなものでも「とにかく全部食べるまで帰ってはいけません」ということで、とっくに冷めてしまった大嫌いなものをいつまでも眺めたまま、昼休みが終わっても、午後の授業が終わってもそのままにされたことです。

 

特に低学年の生徒は教師に逆らう勇気はなく、泣くだけしか出来なかったので、これはずいぶんだったと思います。「好き嫌いをなくす」目的のはずが「逆に生涯の嫌いなものをたくさん増やしてしまった」という間違った教育でした。

 

いまでは「虐待にあたる」としてそういう指導はされていませんが、まっただなかにいた私らはどうなるの?というか、おかげで学校そのものも嫌いになりました (ーー;)

 


まだ救いは4年生頃には脱脂粉乳から牛乳になったことです。脱脂粉乳に比べたら大抵のものは美味しいですから。メニューのバリエーションも増え、ごくたまにデザートっぽいものも入り、自分も成長期に入ってお腹が空くから、高学年の給食は嫌ではありませんでした。

 

この「成長期の空腹」はわりと嫌いなものをなくしてくれますね。なんだ、そういうことじゃないか、とわかると低学年の体験がますます虐待のようにしか思えなくなります。

 

 

姪や甥の時代(二人とも1990年代生まれ)になると、ご飯給食も増え、デザートも増え、私はいつも献立表をよだれをたらすくらいに眺めていました。今はアレルギーにも一応は配慮されてるし(でもたまに事故があるけど)本当に美味しいものが食べられるようになったんだなあ、と改めて思います。

 

自分の低学年の頃の給食だったら二度と食べたくないですね。ちょっとずつましになったのが昭和40年半ばくらいかな?って感じ。

 

結局頑固な偏食とトラウマしか残さなかった当時の指導の提唱者に会ったら、抗議くらいしないと気が済まない食べものの恨みです。でもその当時の人ってもう生きてはいないかもしれないなあ… (ーー;)

 

 


硫化アリルについて、いまごろですが、私は若干、自家中毒あたりとの関係も疑っています。

 

なぜなら、ニンニクやニラ、ネギなどの生の匂いで頭痛が起きるからです。片頭痛とも関係あった気がしますし、ネギやニラ、ましてやタマネギならば火を通せば問題なく、タマネギも生で食べられなくはないですが(でも消化は良くない)ニンニクはちょびっとの隠し味程度ならいいけれども、煮ても焼いても「そばに来ないですね」というくらいには駄目ですね。やっぱりあの匂いが… (ーー;) ギョウザは嫌いじゃないのに、食べるといつまでも胃もたれするんです。胃が拒否するのもアレルギーらしいですしね…。

 

まあ、本当にところはわかりませんが、幼稚園時代に自家中毒で入院して、「食べてもいいですよ」と出されたメニューの中には昨日も今日も明日も「タマネギの煮物」が…。他の献立はまったく記憶にないのに、それはしっかり覚えています。いかに毎日タマネギだったか…。

 

はー…。私も結構もののない時代の記憶を引きずってますよね… (ーー;)

 

 


いま、この少子化の時代ですから、これだけ内容が豊かになった学校給食、そろそろ無料化の方向も考えてもいいんじゃないかな、と個人的には思います。

 

(昔の低学年時代の給食、廃止にします、って言われたらわーい!って喜んでいただろうな…)

 

 

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