給食が拷問に思えた時代
この類のニュース、時々見かけます。
いまでこそニュースになりますけど、これが普通だった時代がありました。
私が経験した時だから昭和30年代から40年代の初め頃でしょうかね。小学校の低学年時代。給食を残すと全部食べるまで、お昼休みが終わっても、午後の授業が始まってもえんえん残されます。
はっきり言って、当時の給食はまずかったです。牛肉や豚肉や鶏肉なんて使われていません。クジラかマトン(羊でもラムじゃないよ。固いマトン)で、まだ脱脂粉乳の頃でした。ご飯ももちろんなくて、もっぱら食パンとマーガリン。たまにあげパンが出ましたが、食パンを揚げて砂糖をまぶしたものでした。でもそれは美味しいと思いました。牛乳になったのは私が高学年になった頃です。
覚えているメニューでマシだったのはカレーシチューとちくわの磯辺揚げくらいかなあ…。あとたまにナポリタンぽいスパゲティ。それくらいしかないから、よほどまずかったのだと思います。
私は食がとても細い子どもだったので、量自体が多くて完食なんて無理でしたが、それでもよく残されていました。時々隙があればこっそり紙に包んでゴミ箱に捨てたりしていましたが…。
午後の授業が始まっているのに、自分だけ机の上の給食(冷めきってる)と向き合う気持ちといったら、やっぱりトラウマになりますよね。それでもそういうのが当時の指導方針だったようで、私くらいの年代の人は似たような苦労をしていると思います。
脱脂粉乳が飲めなかったおかげで、大人になったいまでも牛乳も豆乳も拒絶反応みたいなのが起きて飲めない、という人もいます。
「嫌いにさせてどうするねん!」ですよ。いまなら虐待になりますね。
成長に伴って自然に改善していく
無理に食べさせなくても、成長期に入って身体がどんどん成長していく時にはおのずとお腹が空きます。
私の場合も高学年になって、牛乳に替わったタイミングでお腹が空くようになって、給食も普通に完食出来るようになりました。お腹がすくから嫌いなものでも意外に食べられたりしちゃうんですよね。
その子それぞれの成長に応じて精神的なものや体質的な問題がなければ、無理やりに食べさせなくても、自然に食べられるようになるのが普通だと思います。
その時期が来るまでに嫌いにさせてちゃ本当に逆効果ですね。完食指導っていうのは数年先を予想してやらないと駄目だと思います。「食べることは楽しい」という気持ちを大事にしないと。
…これは勉強でも同じだな。「学ぶことは楽しいよ」っていう気持ちはいつでも潰さないのが大人の役割だと思います。
20年くらい前に甥や姪の小学校の給食メニューの献立表を見て「うわー、あんたら、こんな美味しそうなもん食べてんの??」とよだれがでそうでした。
姪も食が細めでしたら残ったパンは持ち帰っていましたし…。いまはご飯がでるんだよね。シチューじゃなくてカレーライスで食べられるんだよね。いいなあ… (^_^;)
戦争中の普通だった体罰
昭和9年生まれの母に聞いた話。
母が小学生だったころはちょうど戦争中でした。母は成績もよく先生方の覚えもめでたい優等生だったようですが、うちの家系でやっぱり運動神経が壊滅的に駄目で、でも水泳の授業があって、「泳げなければ家に帰さん」と言われて、頭を持って水中に突っ込まれたらしいです。
「そうやから、顔あげずに5メートルだけ泳げる」と言ってました。
これもいまから見たら虐待ですけど、戦争中ってことで、やっぱり普通に体罰も行われていたみたいです。母は水泳以外では経験してないみたいですが、ほかの理由では普通にビンタされてた子もいたようですし…。
駄目だから改善されてきたのよ
それもこれもよくないのがわかったから改善されてきたと思うので、ここで昔に戻っても逆効果なのは明らかです。もっと心理面とか総合的に頭を使って欲しいと思うな、先生がたには。なんかそういうところ鈍い先生がいるんだよね〜。
私は幼児のころから大人たちの本心のようなものが結構見えているタイプだったので、必ずしも先生を尊敬していたわけではありませんでした、尊敬以前にそうじゃない部分が見えちゃうから哀しかったけど…。まあ、大人も普通の人間だよね、と思ってたかな。
学校時代に「恩師」と呼べる人に出会えなかったのは残念です。
でも学校じゃなくても、「楽しいと思えること」っていうのは人生においても仕事においても基本じゃないかと思っています。
あと、その子のペースはそれぞれ違う、ということも。せめて小学生のあいだ(出来れば中、高校生になっても)はそれを忘れないで欲しいと思います。