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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

「世代」だけでひとくくりにして考えないで欲しいこと

 

朝一番で郵便局に行くと、早くもしっかり引き落とされていた。うーむNTT。なんだか悔しい (-_-メ)

 

まだなんとなくお腹の具合がすっきりしなくて、食べたあとで腸が動くと痛い感じもありますが、食欲はしっかりあります。揚げ物は控えてますが…。

 

 

 

いつも経済的に平等な恩恵ってなかったよ


こういう記事をたまたま見つけて、なんだか誤解というか、世代間格差を助長しそうな要因があるな、と感じたので、ちょっと書きたくなりました。

 

news.careerconnection.jp

 


高度成長期、もしくはバブルの時代に働き盛り&若かった世代のすべての人が、その経済的な恩恵を受けていたというのは違っていますね。少なくともうちはほとんどそういうことがなかったです。

 

私が生まれた昭和30年代はまだあまり世の中にものがなくて、子供服など売っていないから、母は進駐軍の古着を譲ってもらって、自分や私の服を縫っていました。それゆえにお揃いの手作りの服が結構写真に残っています。母は機械編みの内職をしていましたし、それで随分家計の足しになっていたようです。

 

上京区の御所の近くに住んでいましたが。それが借家だったので、大家さんの都合で早く出て欲しいと言われ、居住権の問題で裁判所に行った事や、父の会社に借金していまの家を捜してばたばたしたストレスで、母はうつ、もしくは双極性2型障害を発病したようです。

 

 

 

現実はそうじゃなかった自分の記憶による事実

 


高度成長の影にはそれだけ懸命に働いた人たちの事実がありました。
父の会社は中小企業でしたが、当時の世の中は全然週休2日とかではなくて、休みは日曜日だけ。それも時々日直になると日曜も出勤です。

 

国内外の出張もかなり頻繁に出掛けていました。ある日、突然お昼前に帰ってきたと思ったら、「いまから新潟へ行ってくる」とばたばたと用意して行ったこともあります。


母は母で調子が悪いなか、伯父のやっている工場がわりと近くにあったので、何年か働いていましたし、やめた後も、部品を持ち帰って検品の内職をしていました。私もよく運ばされたものでした。母の調子が悪いとね…。そのかわりに…。

そうやって父の会社から借りたローンを返済していました。

 

私もその中で高校受験を迎えていますが、「悪いけど、3年間私立に行かせてやれる資金はない」というので、じゃあすべり止めの私立も受けるのはやめて、確実に受かる公立を受けないとね、と思いました。私は公立の美術コースも魅力を感じていたのだれども、非常に競争率が高くて、まあ諦めた方が無難だなあ、と…。

 

母自身も下手をしたら高校に行けなかった可能性もありました。祖父が失業中だったので、中卒で働こうかと思っていたところ、伯父が「自分が煙草をやめるから高校に行かせてやって欲しい」と行ってくれたのでした。

 

その伯父の息子、つまり私の従兄ですが、もうひとりの従兄も大学へは奨学金をもらって行っています。ただ、そのまま大学に残って教える立場になったので、その当時の制度で返済しなくてよくなったそうですが…。

 

 


同じようなご近所さんたち

 


いま住んでいる家の周辺は同じ時期、50年くらい前に一緒に転居してきた人が多いのですが、暮らしぶりは似たり寄ったりで、贅沢に暮らしている人は見えませんでした。まあ全然高級住宅街じゃなかったし。

 

だから私には高度成長期やバブルの恩恵なんて全然わかりません。そういう実感がある人もいただろうけど、私の交友範囲ではちょっと見当たりません。なのになんでみんな我々や親の世代は豊かだったって勘違いしてるんだろう?…謎。

 

気分的には今の若い世代の人とあんまり変わっている感じがありません。長年生きているからそれなりにものはあるけど、贅沢なものはないですね。父も通勤のために、それとたまに家族でドライブするのに小型車は持ってましたが。ラッシュに巻き込まれるのがいやで、毎朝早くに出掛けていました。車以前はバイク、その前はいまはなき市電で通っていました。

 

 

 

平成時代の現実


病気のために弟が離婚したあとも、養育費が払えないから、孫たちが成人するまで、せめてお金で辛い思いをさせたくなくて、年金の中から節約して、お小遣いと衣料費、クラブや塾で必要なお金やお祝いやなにかで、孫たちの成人まで10年以上ずっと仕送りを続けていました。孫が成人して、それもすみましたが、トータルを計算するとほとんど1,000万近くになりました。

 

それがあればこの家も建て替え出来てたかもしれませんが、でも孫たちに使うというのは一番「生きたお金の使い方ができた」ということで、誰も後悔はせずに満足しています (^_^)

 

私は家の修繕に悩んでいるのは確かですが… (ーー;)

 

…いやー…。こうして書いてみると、うちって本当に経済的に豊かな時期なんてなかったね (^_^;) 別にあんまり執着や欲はないからそれでいいんだけど。

 

 

我々以上の世代の庶民の発言って少ないよね


ネットする人も多いわけじゃないしね。シニアだけで閉じこもってちゃ発展性もないしね (ーー;)

 

でも「そういう世代」として十羽ひとからげにして認識するのはやめて欲しいです。

 

いつの時代にも豊かじゃなかった人は存在するのに、まとめて悪い事のように言われるのは心外だし、豊かじゃない苦労もわかるから若い世代に貧乏になって欲しいわけでもありません。個人的にはもうそんなに人口が増えなくてもいいし、国が発展していかなくてもいいような気もするし…。

 

こういうことはすべての世代が協力して解決していかないと、というか全体の底上げを目指さないと成功しないし、ただマイナスな格差が拡がるだけじゃないかと思います。広い視野が必要ですね。

 

 

 

 

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不安を払拭するのは突然の「非日常」だったりする

 

デパスがやめられない、という人がいらした


あるところで、デパスをやめたいけど、やめられない、というのをお聞きしました。薬の効果がなくなる時間帯になると不安になる、というのはすでに依存っぽい段階かもしれないなあ、と思いました。内科でも処方が可能な薬だけに悩んでおられる方は少なくないかもしれません。

 

でもこういう場合はやはり専門家に相談して欲しいと願います。デパスじゃなくても依存性のない抗不安薬はあるし、他のやり方もあるから、そのへんは専門医とも相談して調整するしかないなあ、と思うんですが…。

 

私は一応「セディール」という抗不安薬を3錠もらっています。効いているのかどうかわかりませんでしたが、長く飲んでいるとなんとなく効いているのがわかりました。今ではデパスは入眠剤のかわりみたいですね。頓服で持ち歩いていても存在を忘れています。

 

私の主治医の先生はあまり多くの薬を使わない主義です。以前もらった「シンプルな処方を実現するコツ」という書籍用の原稿コピーを読むと、依存になると離脱が大変になるようなベンゾジアゼピン系の薬は抗不安薬としてもなるべく使わない、もしくは最初から処方しない、と書いておられます。むしろそういう時は抗うつ剤の方がいいというように…。

 

あんまり薬の量が増えないこの先生の方法は、薬を増やしたくない私の場合と相性が良くて、気に入っています (^_^;)

 

弟もこのごろあまりデパスのことを口にしなくなりました。

 

 

 

不安を克服する「非日常」

 

で、ここからはパニック障害について考えた2016年6月16日の記事の部分的再掲になります。

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp

一応リンクしてますが、ここにも中身は転載しています。

 

 


Facebookに流れてきた記事です。

 

buzzmag.jp


…いやー、運転手さん、ご無事でよかったですね、という話ですが、実はそのことよりも話題になったのが、あの災害で、「うつが治ったみたい」だという息子さんのことでした。

ちょうどコメントされてた中に臨床心理士さんがいらしたので、もと患者の私と興味深い話になってしまいました(^_^;) 他にコメントをされていた方も興味深かったようです。(Twitterと違って、匿名ではないからか、みなさんの対応が真摯)

パニック障害などで悩んでいる患者さんの目の前で、もっと重大な事故や災害が起きた場合、患者さんはどうなるか?これは私も興味があったんですが、「大抵の場合、発作が止まります」というのが臨床心理士さんのお話でした。「非日常」なんですよね、それって。

「自分の体調や症状を気にしているどころではない非日常が起きた」ということです。

 

でもそれが一度きりの場合、日常に戻ると、仮にパニックが治っても今度はPTSDなどの深刻な状態になる可能性もあって、そのあたりは複雑なようですね。

もちろん、作為的、人為的な非日常はダメらしいです。

 

 

私の「非日常体験」は家族絡み

 

してみると、私の場合、「家族の生命に関わる非日常な出来事」が10年間で十数回も起きたってことで、それが誰の故意でもなく、起きるべくして起きて、否応なしに走り回らざるを得なかった、というのがすごい大きな偶然というか、誰かの意志みたいなものすら感じるんですけど…。普通はないですよね。こんなに繰り返すことって…(ーー;)

 

目の前でみるみるチアノーゼが悪化していく父とか見ていたら…、玄関の上がり框から落ちてた意識不明の弟とか、指先の痙攣が全身に広がる父とか、薬のために癲癇発作を起こした母とか…。なんかもう、私がしっかりしないとどうすんの?っていうことばっかりだったし。

 

 

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あんまり救急車のお世話になるもので、消防署が近くに来てくれたり(…嘘です。たまたま消防署の引越し先が近所だっただけ(^_^;))しまいには状況説明しながら、「すいません、着替えさせてください」(夜中だったし、病院に持っていくものも入れないと)「だって近いからすぐに来てくださいますよね」と焦ったり、そういう余裕が生まれたり…(^_^;)

 

でも自分の身体の状態を見ていると、すごい動悸もしているし、脈も速いし、喉もカラカラで首は締まるし吐き気もしてきます。ノルアドレナリンの分泌も最高潮(?)みたいになってるし。きっと血圧も高いはず。なんだかお腹も痛くなりそう…。身体がガクガクしてるのもわかるし。

 

そこでパニック発作が起きてもおかしくないのですよね。普通なら起きてます。でも緊急事態だから自分の身体の状態に全然神経がいかないわけですね。自分じゃなくて、本物のパニックが起きている状況だから…。身体の状態は荒れ狂っているんですが、それと並行して頭はわりと冷静に対応してるんです。やるべきことをちゃんとやってる。慣れってすごいなあ、と思いました。

 

その非日常の体験の繰り返しが私にとってはものすごい認知行動療法の実践になっていたみたいです。少しずつ自信がついてくるでしょ?

そういうことを十数回も体験したら、治るよね…(^_^;)

 

 

人生に「ご縁」あり


ご縁というのは面白いもので、私がそういう体験をしているあいだに、他府県というか、遠方にいる姪っ子が消防士兼救命救急士と結婚したり、甥っ子がやっぱり消防士兼レスキュー隊員になったりとか、関連性のあるお仕事とかそういう知り合いがどんどん増えていったりするんですよね。面白いですね(^_^;)

介護していると、看護士さんやケアマネ兼看護師さんとかのお知り合いも増えるし、病院の関係のお知り合いも増えちゃってるし…。医療と介護にすごいご縁がある人生だなあ、と自分でも思います。

 

 

いつのまにかすごく大変な経験をちょっと面白く余裕っぽく乗りこなせるようになったんだなあ、と自分でも感心したりして…(^_^;)

まあ、とっても大変でしたけど、おかげでメンタルも鍛えられたし、そういう意図はなかったとしても、生命がけだった家族のおかげでパニック障害は治った、ということで、家族とご縁に深く感謝している私でした(^^)

 

 

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頑張るとしっかり反動(?)が来るから困る

 

今の季節は胃腸に来るようです

 

昨夜は午後9時にはやばやとダウンして10時間あまり寝てしまいました。
それだけ消耗していたみたいです。

 

でも夜中にひどい胸焼けを感じて胃薬を飲んだのと、腹痛で2度ほど目が覚めて
トイレに起きたのとで、眠り足りた気がいまいちしなかったりして… (ーー;)

 

そうか、ダメージが胃腸に来てるなあ、と思いました。
今日は消化のいいあっさりしたものを食べよう。

 

食材がないから作れないし、あとでコンビニでお寿司でも買ってこようかな。
昨日から炭水化物ばっかり食べてますけども… (ーー;)

 


毎年、春先は自律神経の調子で、お腹の具合が若干調整しにくくなるのです。
嫌になるほど正確な毎年のパターンですね。

 

ヨーグルトとかはほとんど毎日食べてますが、それとは無関係みたいです。
毎年だから結構慣れたけど、お腹の上の方が張るとちょっとしんどい。
ビオフェルミンがあるから、しばらく飲んでおこう。

 

でもこれもしっかりと春になって暖かくなるとおさまってきます。
そのかわりに気温の上昇と共に体温が上がってきますが… (ーー;)

 

5月ごろになると37度ラインに到達します。

 

この微熱傾向は母もずっと言っていたので、やはり体質が似るのかな?

 

ま、仕方がないですね。
強引に動くと動けるけど、その反動はきっちり来るからそれが困ります。
しんどいね〜 (*-д-)-з

 


お絵描きの途中経過です


あんまり書くことを思いつかないので(いろいろネタはあったけど
忘れているし)お絵描きの途中経過でも載せておきますね。

 

姫君の着色だけ完成。

 

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風に舞う桧扇

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この単独サイズで45×45センチくらい。解像度は400dpiです。
全体の構成はA2サイズ 400dpiくらいになるかな?と思いますが、
印刷が綺麗に出る360dpiに落とせばB2くらいでも出力が可能だと思います。

 


無事に完成したらB2で出力してフレームで飾りたいなあ、と思っています。
自己満足な楽しみですが、やっぱりこういうことやってると幸せなので… (^_^;)

 

お絵描きしている時は多分一番瞑想状態に近くなっていると思います。
誤作動を起こしやすい脳だと、普通に言う「瞑想」はちょっと危ない気がするんで、
こういう創作活動に無心になれる時が貴重なのかもしれないと思います。


「楽しいか、楽しくないか」なにごとも長続きさせたい場合のシンプルな

価値基準です。

 

 

 

 

 

 

離れていても家族は家族だと確認した 疲労困憊だけど

 

病気も私を構成する要素だと思ってもらえる時代になって欲しい

 

私のプロフィールには堂々と「双極性2型障害」と書いてありますが、これは別に内緒にするようなことでもなくて、私の感覚ではクロスドミナンスであることや、INFJタイプであることとなんら変わりはなく。自分を表す事じゃないかと思っております。別にユニークでもなくて、「獅子座の生まれです」とか「食べ物はじゃがいもとチョコレートが好きです」というのと同じような感覚でもありますね。

 

だから特別扱いは不要ですが、この病気ゆえの特徴とかはいろいろありますので、それをご理解いただくと人さまに不快な思いをさせなくてもいい、というそういうことですね。知らないから忌避するよりも正しく知っていただけると、自然な感じでおつきあいいただけるのではないかと…。まあ、そういう感じです。

 

2、3日前に自分でこういうことを書いてました。こういう感じでもありますね。

 

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ものすごく疲れた一日でした まずクリニック受診

 

で、この病気の特徴の一つに「非常に疲れやすい」というのがあります。これはうつ病などでも同じですが、相当気力とかエネルギーとかが枯渇しやすいのですね。そもそもガソリン満タンで動いているわけではなくて、ほとんどゼロに近い人が多いと思います。それで動くんだから大変ですよね〜 (^_^;)

 


今日は午前4時半に起きて、なんとか動けるようになるまで、ぼーっとモニタの前でパンを齧っていたら弟がトイレに行って「もうちょっと寝てくるわ」と二階に上がりました。で、タクシーを8時に予約していたんですが、時間が近づいてもいっこうに降りて来ないので、もう呼ぶまでもないと思って一人でクリニックを受診しました。

 

いつも母の近況も話すので、一人で3人ぶんの状態を伝えることになります。これも順番に要領良く伝えるから結構大変。

 

先月の血液検査の結果、弟の貧血はすっかり良くなったので、ビタミンB12の投薬も不要になりました。内科で不整脈の受診をしている旨伝えて、薬の処方の紙を忘れたことに気付く。γ-GTPが378もあったので、「禁酒!」と言うことで。採血の前に1週間くらい飲んでないと言ってたけど、結構な量を飲んでたのかもしれません。まったく… (ーー;)

 

私は小刻みに激しい気分の上下動を伝えたものの、特に薬に変化はありませんでした。強引にでも動けているからかもしれませんが…。まあ、薬で改善するものじゃないよね、環境が変わらない限り (ーー;)

 

血液検査はγ-GTPが正常だったので、決めた時間に決めた量しか飲まないお酒のこと、それくらいいいと言われました。薬の時間とは離して飲んでるし、そういうのがないとかえって危ないと思われたのかな?

 

あとはGOTとGPTは少し高めですが「これは脂肪肝やろな」と…。いつものことです。実は自分も気にしてないですし。他はまあ正常かな。

 


薬をもらったらそれが邪魔なので、一旦家に置いて、コンビニのおにぎりとみそ汁を食べて、早めにお昼の薬を飲んで、それで改めて母の病院へ…。

 

 

 

退院のばたばた 特養に戻る

 

入院費7万では足りませんでした。預かり金と相殺する形になって支払って来ましたけど…。6人部屋で荷造りとかしていると、病院の方が次々に来られるので、邪魔にならないようにするのが大変です。あそこの病院、先生も看護師さんたちもいい方ばかりなんだけど、あの狭さが難儀だなあ…。働きづらいと思います。

 

母は良くしてもらったことに対しては非常に感激するタイプなので、今回も泣いてました (^_^;) で、施設のスタッフさんの顔を見てまた泣いて…。

 

サマリーを初めとする書類もいっぱいもらって、特養のスタッフさんがお迎えに来てくださったので、お昼の水分と薬だけを胃ろうからもらって帰ってきました、特養に。

 


5週間ぶりかな。お昼がまだだけど、調整が必要なので、早速おやつのゼリーを口から…。とろみのついたお茶も口から…。母が食べる気力を出してくれたら、また口からの食事メインになることもあるかもしれません。そういう意志を伝えてあって、嚥下機能の保持のために努力してくださるらしいので…。それが出来る特養でよかったです。

 

特養によっては胃ろうになると置いてもらえないところもあるようです。私が今の特養しか申し込まなかったのは、やはりこういう医療面での連携ですね。なにしろ病院グループだもんね (^_^;) 歩いて行ける近さにある特養ならそういう連携がないので、やっぱり今のところにしてよかったと思います。

 

看護師さんやケアマネさんにもお会いして、早々と来月のカンファレンスの日程も決まりました。右足の切断面にも褥瘡が出来ていて、それのケアの今後とか、まあ、お任せしておいても安心だろう、と思えるのが嬉しいです (^_^;)

 

 

 

離れてても立派な家族の一員です (^_^)


ふと見ると目やにがこびりついてるな、とタオルで拭いてあげて、ヒゲだかなんだかあごのところに長い毛があるぞ、とはさみでカットして、ちょっと時間があったので、母と部屋で話をしてたんですが、主に私がしゃべっているようでも、家の内部の詳しい話になると、じいーっと顔を見て真剣に聞いてくれて、「そんでな、家の中もあちこちが壊れてきてるし、私も家に居ても出来る仕事を捜さんとあかんと思てるのよ」と言ったら「お互いにがんばろうな」と…。おおー、そういう言葉久し振りに聞いたなあ (^_^;) 

 

父も最後まで家長としての自覚を持って家族を守ってたみたいだけど、やっぱり家族の一員として相談されたり頼られたりするのって嬉しいんだ、と思いました。要介護5でも、片足がなくても、胃ろうになっても、家族の一員でいられることがすごく大事なんだなあ、と思いました。

 

私みたいに頻繁に(週に一度か10日に一度くらいですが)尋ねる家族もあんまりないらしいですね。タクシー以外の足があったらもっといいんだけど…。それでも頑張って行こう。「ここの人もいい人ばっかりやね。二つ目の家みたいやね」と言うと「うん」と言いましたので、それなりに居心地がいいのも確かではあります。

 

そういう感じで40分くらいかな?二人で話していて、私が帰ろうとすると、病院では「はよ帰り」と言ってた人が今度はなかなか帰れと言ってくれない。6人部屋では常に他の患者さんの気配があって、声も聞こえていたのに、戻ると個室ですから…。寂しくなったようです。

 

食堂に連れて行ってもらって他のみなさんと久し振りに顔を合わせたら、なんだか拗ねているようで、知ってるはずの人を「知らん」とか言ってましたけど。気に入らないことをされると「馬鹿」とか言うし…。でもこれは家に居た頃から言ってた気がするから、思い出したのか??

 

なんだか寂しがっている気がするので、なるべく次も早めに行ってあげたいと思います。

 

 


はー…、正直、疲れる覚悟はしてたけど、精神的にはよかったと思うけど、めちゃ疲れた…(>_<) 晩ご飯のカップ麺食べながら寝てしまいそうになりました。そのまま寝ようと思ったけど、これを書いたので、投稿してから寝ようかな。

 

だらだらの日記におつき合いどうもありがとうございました (^_^)

 

 

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