お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

離れていても家族は家族だと確認した 疲労困憊だけど

 

病気も私を構成する要素だと思ってもらえる時代になって欲しい

 

私のプロフィールには堂々と「双極性2型障害」と書いてありますが、これは別に内緒にするようなことでもなくて、私の感覚ではクロスドミナンスであることや、INFJタイプであることとなんら変わりはなく。自分を表す事じゃないかと思っております。別にユニークでもなくて、「獅子座の生まれです」とか「食べ物はじゃがいもとチョコレートが好きです」というのと同じような感覚でもありますね。

 

だから特別扱いは不要ですが、この病気ゆえの特徴とかはいろいろありますので、それをご理解いただくと人さまに不快な思いをさせなくてもいい、というそういうことですね。知らないから忌避するよりも正しく知っていただけると、自然な感じでおつきあいいただけるのではないかと…。まあ、そういう感じです。

 

2、3日前に自分でこういうことを書いてました。こういう感じでもありますね。

 

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ものすごく疲れた一日でした まずクリニック受診

 

で、この病気の特徴の一つに「非常に疲れやすい」というのがあります。これはうつ病などでも同じですが、相当気力とかエネルギーとかが枯渇しやすいのですね。そもそもガソリン満タンで動いているわけではなくて、ほとんどゼロに近い人が多いと思います。それで動くんだから大変ですよね〜 (^_^;)

 


今日は午前4時半に起きて、なんとか動けるようになるまで、ぼーっとモニタの前でパンを齧っていたら弟がトイレに行って「もうちょっと寝てくるわ」と二階に上がりました。で、タクシーを8時に予約していたんですが、時間が近づいてもいっこうに降りて来ないので、もう呼ぶまでもないと思って一人でクリニックを受診しました。

 

いつも母の近況も話すので、一人で3人ぶんの状態を伝えることになります。これも順番に要領良く伝えるから結構大変。

 

先月の血液検査の結果、弟の貧血はすっかり良くなったので、ビタミンB12の投薬も不要になりました。内科で不整脈の受診をしている旨伝えて、薬の処方の紙を忘れたことに気付く。γ-GTPが378もあったので、「禁酒!」と言うことで。採血の前に1週間くらい飲んでないと言ってたけど、結構な量を飲んでたのかもしれません。まったく… (ーー;)

 

私は小刻みに激しい気分の上下動を伝えたものの、特に薬に変化はありませんでした。強引にでも動けているからかもしれませんが…。まあ、薬で改善するものじゃないよね、環境が変わらない限り (ーー;)

 

血液検査はγ-GTPが正常だったので、決めた時間に決めた量しか飲まないお酒のこと、それくらいいいと言われました。薬の時間とは離して飲んでるし、そういうのがないとかえって危ないと思われたのかな?

 

あとはGOTとGPTは少し高めですが「これは脂肪肝やろな」と…。いつものことです。実は自分も気にしてないですし。他はまあ正常かな。

 


薬をもらったらそれが邪魔なので、一旦家に置いて、コンビニのおにぎりとみそ汁を食べて、早めにお昼の薬を飲んで、それで改めて母の病院へ…。

 

 

 

退院のばたばた 特養に戻る

 

入院費7万では足りませんでした。預かり金と相殺する形になって支払って来ましたけど…。6人部屋で荷造りとかしていると、病院の方が次々に来られるので、邪魔にならないようにするのが大変です。あそこの病院、先生も看護師さんたちもいい方ばかりなんだけど、あの狭さが難儀だなあ…。働きづらいと思います。

 

母は良くしてもらったことに対しては非常に感激するタイプなので、今回も泣いてました (^_^;) で、施設のスタッフさんの顔を見てまた泣いて…。

 

サマリーを初めとする書類もいっぱいもらって、特養のスタッフさんがお迎えに来てくださったので、お昼の水分と薬だけを胃ろうからもらって帰ってきました、特養に。

 


5週間ぶりかな。お昼がまだだけど、調整が必要なので、早速おやつのゼリーを口から…。とろみのついたお茶も口から…。母が食べる気力を出してくれたら、また口からの食事メインになることもあるかもしれません。そういう意志を伝えてあって、嚥下機能の保持のために努力してくださるらしいので…。それが出来る特養でよかったです。

 

特養によっては胃ろうになると置いてもらえないところもあるようです。私が今の特養しか申し込まなかったのは、やはりこういう医療面での連携ですね。なにしろ病院グループだもんね (^_^;) 歩いて行ける近さにある特養ならそういう連携がないので、やっぱり今のところにしてよかったと思います。

 

看護師さんやケアマネさんにもお会いして、早々と来月のカンファレンスの日程も決まりました。右足の切断面にも褥瘡が出来ていて、それのケアの今後とか、まあ、お任せしておいても安心だろう、と思えるのが嬉しいです (^_^;)

 

 

 

離れてても立派な家族の一員です (^_^)


ふと見ると目やにがこびりついてるな、とタオルで拭いてあげて、ヒゲだかなんだかあごのところに長い毛があるぞ、とはさみでカットして、ちょっと時間があったので、母と部屋で話をしてたんですが、主に私がしゃべっているようでも、家の内部の詳しい話になると、じいーっと顔を見て真剣に聞いてくれて、「そんでな、家の中もあちこちが壊れてきてるし、私も家に居ても出来る仕事を捜さんとあかんと思てるのよ」と言ったら「お互いにがんばろうな」と…。おおー、そういう言葉久し振りに聞いたなあ (^_^;) 

 

父も最後まで家長としての自覚を持って家族を守ってたみたいだけど、やっぱり家族の一員として相談されたり頼られたりするのって嬉しいんだ、と思いました。要介護5でも、片足がなくても、胃ろうになっても、家族の一員でいられることがすごく大事なんだなあ、と思いました。

 

私みたいに頻繁に(週に一度か10日に一度くらいですが)尋ねる家族もあんまりないらしいですね。タクシー以外の足があったらもっといいんだけど…。それでも頑張って行こう。「ここの人もいい人ばっかりやね。二つ目の家みたいやね」と言うと「うん」と言いましたので、それなりに居心地がいいのも確かではあります。

 

そういう感じで40分くらいかな?二人で話していて、私が帰ろうとすると、病院では「はよ帰り」と言ってた人が今度はなかなか帰れと言ってくれない。6人部屋では常に他の患者さんの気配があって、声も聞こえていたのに、戻ると個室ですから…。寂しくなったようです。

 

食堂に連れて行ってもらって他のみなさんと久し振りに顔を合わせたら、なんだか拗ねているようで、知ってるはずの人を「知らん」とか言ってましたけど。気に入らないことをされると「馬鹿」とか言うし…。でもこれは家に居た頃から言ってた気がするから、思い出したのか??

 

なんだか寂しがっている気がするので、なるべく次も早めに行ってあげたいと思います。

 

 


はー…、正直、疲れる覚悟はしてたけど、精神的にはよかったと思うけど、めちゃ疲れた…(>_<) 晩ご飯のカップ麺食べながら寝てしまいそうになりました。そのまま寝ようと思ったけど、これを書いたので、投稿してから寝ようかな。

 

だらだらの日記におつき合いどうもありがとうございました (^_^)

 

 

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「食べること」と心の距離感について思ったこと

 

食事というのは実はかなりデリケートなものかもしれません


13日の予定が結構ハードなので、予約投稿しておきます。弟が夜に眠れなかったら受診出来ない、と言うので、どういう状況になっているかわかりませんが、どのみち「私が行かない」という選択肢はないので、一人の方が身軽に動ける、と思っていることにします。

 

弟の場合だと、タクシーは家の前から家の前まで、になっちゃうけど、私は荷物も持って隣の町内からでも歩いたりします。わずかな節約と運動を兼ねて。…そういうことが二人だと出来ないんで…。「体中の関節が痛い」とか言ってますが、動かなさ過ぎのせいもあるんじゃないかと思ったり… (ーー;) このごろ私が煙草までついでに買ってたもんね。

 

冷やご飯は温めても食べないとか(チャーハンとかにすれば別ですが)生野菜は食べないとか、結構やりづらいですね。

 

このあいだ作業療法士のMさんと話していたら、やはりそういう神経質さかなにかで、「市販のお弁当やお総菜、それか家族が作ったご飯以外はどうしても食べられない人はいらっしゃいますね」と…。完全な外食だと別らしいです。

 

そういう人だとヘルパーさんにお願いして作ってもらった食事も食べれないようです。…まあ、これも微妙かなあ…。どうしたって作る人の「家庭の味」になってしまうので、それが受け入れられないとか、もうちょっとはっきりした理由がない部分で駄目な人もありそうですね。不思議な心理ですよね。

 

弟の場合も私の味が母の味になってしまってるし、調理の部分をヘルパーさんにお願いするのは多分駄目です。

 

 

中途半端な距離感が一番難しいのかも…


そういえば私も向い3件とお隣のおばちゃんたちとはもう50年くらい親しくおつきあいしているわけですが、昔からお互いの家のおかずを「たくさん出来たから食べてー」とやりとりしていました。

 

母なんかは誰の好物がなに、というのまで熟知していて「お向かいのおっちゃんが『ママ(この辺でママといえばうちの母の呼び名)のコロッケが美味いなあ』て言うてくれはったし…」とおすそ分けするわけですね。そういう親しさなんですが、実は私も子供の頃、ご近所さんからもらったおすそ分けが食べられなかったりしました。

 

あれはなんでしょうね?信頼してないわけではないんですが、どこかに神経質さが残っていて(子供のころはもっと神経質でしたけど)食べられるようになったのは大人になってかなり経ってからでした。

 

「他人の作ったものを食べる」というのは、それが中途半端に親しい人の場合、やはりどこまでその人を受け入れているかどうかというのも関係あるかもしれませんね。

 

 


他人が握ったおにぎりが食べられますか?

 

よく「他人の握ったおにぎりが食べられない」人がいますけど、これもわりと潔癖症的な心理はわかります。私にも若干そういうところがありますし…。でもラップに包んで握ったものでないと抵抗があるなあ、というのは自分で握るのも母が握るのもそうでした。だって握ってすぐに食べない場合はその方が安心できるし…。

 

他人のおにぎりでもラップ使用なら食べられるな、私は。なかにはそれでも駄目という方がありますしね。

 

これももしかしたら「他人をどこまで受け入れるか?」という無意識的な心のバリアみたいなものが存在するのかも…。コンビニおにぎりとかの方が安心なのは、機械だから清潔なのと、受け入れるのどうのということを考えなくていいからかも…。

 

お店のメニューは…一応プロだけど、せっかくのものだからなるべく残さないで食べようと思うけど…。という気遣いをするくらいには作り手を意識してるかな?

 

そういうことが考え及びもしなくて、なおかつ弱かった幼児期は私は本当に食べない子供で母が困っていたようです。「環境が変われば食べるかと思うて、おうどん屋さんに連れて行ったら、それでもあんたはおうどん2、3本(!)しか食べへんから、替わりに私が残りを食べてたら太ってしもうた」と言ってました。戦中派だから残せない世代です (^_^;)

 

でも母はそういうバリアがあんまりない人で、社交的でしたので、友達と食事に行くのを楽しみにしていました。晩年、血糖値が上がらないようにいろいろ工夫していましたが、あれは遺伝的に糖尿病になりやすい体質があると思います。ひいおじいちゃんが40くらいで亡くなってますし…。

 

まあ、でも基本的に他人を受け入れやすい人なのは確かです。だれにいただいたお総菜も残さず食べていたのは戦中派だからだけじゃないと思うな。それだけ人を受け入れることが出来る人なのだと思います。

 

そういう長所、私も見習って徐々に変わってきてるかな?とも思います。親というのはいくつになってもありがたい存在ですね〜 (^_^;)

 

 


「忘れること」の恩恵もあるのよね

 


私自身、長く生きていると、忘れてもいいことはどんどん忘れることが出来るようになってきている気もします。いろんな経験をしましたが、あとから振り返ると「どうしてあの経験をしたのか?」という意味がわかるようになって、自分の中で納得したら、もう覚えてなくてもいいんだ、という感じになって忘れてしまう…。

 

そうすると残っているのは嬉しいこととか、感動したこととか、楽しかったこととか、そういうものがメインになるので、幸福感の方が勝っていくわけですね。これも面白いな。こういう心の変化をするんだな。

 

認知症になると困りますが、でも心の中でより分けていく思いみたいな感じで、ザルの目が大きくなっていくような気もします (^_^;) 若い頃の悩んでいた自分に教えたいくらい。

 

いまでももちろんひとつひとつは相当真面目に悩んでいますが(時には死にたいくらいに)、それもやっぱり意味がわかって納得したら、手放してもいい記憶になるかもしれないと思います。

 

 

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春財布で縁起かつぎを楽しんでみる(^^)

 

母から引き継いだ我が家の家計簿

 

昨日たまたまこの記事を読んで、自分の家計を考える機会を得ました。

 

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うちは現在、私と弟が障害年金、母が老齢年金と父の遺族年金を受給しています。だから全然豊かではありません。母が元気な時は家計を管理していましたが、伯父に借金してまで薬を(あのお高い救心とか)買っていたので、食費などはそんなに使っていなかったと思います。

 

いずれにしても年金というのは2ヶ月に一度しか支給されませんので、それを頭に置いてやりくりするしかありません。ひと月は60日か61日、という前提で仕分けなしないとね。

 

母は大体の収支が把握できればいいや、という大雑把な家計簿しかつけていませんでしたが、私もそれを引き継いでいます。レシートを書き写すような面倒なことは一切やりたくないし、やっても嫌になるに決まっているので、パソコンじゃなくてノートに鉛筆書きしています。

 

それでもなんとかなるんですよね。口座から引き落とされるものは置いてくればいいし、どうしても必要なものから優先順位をつけて割り振りします。うちの場合、最後になるのが食費ですね。この金額によって、献立や自炊の幅が決まってしまいます。

 

うちのメインバンクはわざとネットにはしていません。だから月に1、2度は記帳して残高や収支を確認します。これを把握していないと思わぬ出費が怖いです。

 

だからうちなんかは毎月支給だとかえって困るんですよね。病気によって家計のやりくりが難しいこの方のようなケースも多いですが、なんとか出来ているうちのような場合は家電の買い替えの必要が出来た時にはまとめて入ってこないと困るなあ、と思います。

 

その辺の融通が効けばいいけど、難しいですよね〜。結局管理ができる人間が合わせるしかないのかも…。

 

 

 

春財布で縁起担ぎをしてみます

 


で、春財布の縁起かつぎでもして気持ちを明るくしましょうか(^_^;)

 

…といっても年金生活だと、仕事しないと金運もないような気がしますけど…。まあ、縁起担ぎは悪くないかな、と思いつつ私もやっています。

 

この財布は去年の春に購入したものです。L字型ファスナーの使いやすさとポケットの多さが気に入っています。

 

 

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中身は本当に診察券が多いなあ。キャッシュカードも入ってますけど…。

 

黄色の紙に包んであるのが種銭。これは使わないのが鉄則なので、持っているのを忘れています。万一使ったらすぐに戻さないといけません。他にもバッグの中に予備の1万円くらいはいつも入れてますが、これは今回は入院費で使っちゃうかな。

 

前は書棚の本の中に挟んでいたんですが、どの本だったか、思い出せなくて探すのが大変だったんで、定位置を決めて持っています。まあ、それは「あるな」と思っているから忘れませんが、なるべく使わないようにしています。

 

忘れていたお金をたまたま発見した時は自分が入れたんだけど、「ラッキー(^^)」という得な気分になれます。このあいだはこの1万円の中から余分に入れていた(そして忘れていた)5000円を発見して、ラッキー、という気持ちになりました(^_^;) 忘れっぽい自分に自分でプレゼントしているみたいです(^_^;)

 

それと紙幣はやっぱりできるだけ新札で持ちたいんですよね。これはどこか潔癖症の性格もありますが、よれよれのお札だとすぐに手放したくなるけど、綺麗なお札だとできるだけ手元に置いておきたい気持ちになるんですね。これは不思議。

 

だからATMで引き出したお札でも、そのうちのいくらかは新札に両替してもらって持っています。もちろんきちんと向きは揃えて。これも几帳面な人間にはこだわりで。

 

 

自分なりのこだわりもありますね

 

あと、私が実行していることは、だいたい2、3年で新しい財布に交換すること、新しい財布は使う前に出来るだけたくさんのお金を入れてしばらく置いておく(財布にこれだけ入るんだぞ、と覚えさせるためらしい。本当に?)

 

細かい日にちとかいろいろあるようですが、私はあんまり気にしていません。なにしろ仕事しないと入ってこないのはわかってますから。でも綱渡りっぽい家計をやってますけど、不思議に赤字にはならないからありがたいです(^_^;) 入ってくるのが限られているんだから、なるべく賢く使わないといけないなあ、と思って、やりくりの問題かなあ?

 


母も退院するし、落ち着いて少し休んだら仕事の相談にも行きたいと思っています。就労支援事業所にも在宅の話はあるらしいと看護師さんにお聞きしているので、一度そこの所長さんにお会いして詳しく聞いてきたいなあ、と思うし…。

 

…そうだよね。財布を分厚くするにはそれしか方法がないんですが、できればそれも楽しくやりたいと思う私なのでした(^_^;)

 

 

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