うつ病漫画について
えーとまずお知らせとお詫びです。昨日リンクしてました、うつ病の漫画は実はフィクションだったそうです。実名らしきものが出てきたからちょっと「ん?」とは思ってました。
でもそれでも自身の経験と重なることも結構あったし参考になるとは思います。だからリンク。あくまでもフィクションとしてお読み下さいね(^_^;) (でも私個人は体験と被るところが多かったですが)
数字の後ろに人間を見たい
ヤバい
— おると🔨🐦整形外科医 (@Ortho_FL) 2021年1月17日
これインフルエンザの感染者数なんだけど、なんと底の方這いつくばってる赤色が今年の数なんだよ
マスクや手洗いのおかげでこんなに抑えられてるよ
みんなすごい、みんな偉い pic.twitter.com/jM4QIndh5C
インフルエンザがマスク、手洗い、ソーシャルディスタンス(プラス」ワクチン)でこれだけ予防出来ているのに、コロナは無理と言うだけインフルエンザより弱毒性で感染力が弱いとかはとても思えないですよね。そう言う事言ってる人がいますけど、私はコロナの方が感染力が相当強いと思うんですが…。
https://t.co/m2WlsRAzef
— ゆきじ (@Yukiji_AUO) 2021年1月17日
ふと気になって、ノロウイルスの感染件数も調べてみたのですが
こちらもケタ違いに少ないんですね
外食が減っている影響なんでしょうか‥
コロナ関係では同じ数字やグラフを見ていても、そこに人間を見ている人と人間が眼中にないように思える人と差が凄く激しい。なんなんででょうね?これは?
人間見ていない人は「騒ぎすぎ」とか「ただの風邪」とか陰謀とかまだ言ってますし。色々バイアスかかってますね。私は地頭そんなに良くないから、そっちに流されないように気をつけています。案外素直に子供みたいに素朴な疑問を抱くといいと思ったりして…。
脳力落ちたとすごく思うし、しんどい
昨日WordPress関係のサイトをずっといろいろ眺めていたら、すごく嫌な気分になってきた。やっぱり軽躁の勢いがないと無理な作業かもしれない。そうするとブログの勢いでできそうなJimdoになってしまうかもしれません(ーー;)それでもいいんだけど。なるべく集中力がいらないのがいいな。能力ダウンしてる。
やりたい理想とできる現実との間に乖離があるのは当たり前。
でも過去のことを思い出すから、つい出来るかも、と思って駄目と分かって挫折するのがいつものこと。
精神疾患の当事者ではよく「治る、治らない」という話題になるが、病状を持ったまま新しい自分を見つけることも大切である。病は全て「負の遺産」ではない。右肩上がりの人生でなくても良い。山登りにおいても、急傾斜の道を急いで登るよりも、回り道をした方が美しい景色を見ることができるように。
— 青い薔薇 (@Trans_Blue0630) 2021年1月17日
加齢(病気もあるけど)とともにいろんな能力が落ちていくので、人生の残り時間を思うと治る治らないにはこだわらないのが一番楽だと思いました。その上で現状出来ることをやっていきたいです。「病気に折り合いをつけて共生」は悪くないですね(^^)
本当に最近、人生の残り時間を想定して「出来ることの現状」を考えるから病気が治る治らないはどうでもいい。出来るかもしれない時間が惜しい。
たとえば片足失くした人が使い勝手のいい義足に出会えたらラッキー、なのと同様に取り戻せないものは嘆きたくないと思うようになった。ある種の開き直り?
生まれつき他人より劣る部分を持っていたから、普通より出来たり出来なかったりも当たり前のことなんだよね。生まれつきどこかが不自由な人たちがそれぞれに工夫を凝らして生活されているように、嘆くのは贅沢かもしれないな、と時々思う。できない事は日々増えるけど出来る事に眼を向けたい(^_^;)
いや、でも愚痴こぼしはします。大事なガス抜きなので(^_^;) ただ「治る、治らない」だけで過ごす一生にはしたくないだけかな。1日の半分近く横になってる人間が言っても説得力ないかもしれませんが…(^_^;) 横になってても考えることは出来るから。
…Jimdoの勉強しよう。難しいことはやめよう。
人生そのものについては生れてから死ぬまでが勉強。その中には病気や人間関係も含まれている。どういう対処するかがきっと課題だな。
そういうことをちゃんと自分が決められるのがいいところだと思います(^_^;) 目の前の課題に真摯に向き合うともっとも後悔が少ない結果が得られると思っています。
人生はクリエイティブに(^ ^)