昨日はベッドに入ってから、Twitterでメモしたことが多かったので、それを中心にまとめますね。手抜きですみません(^_^;)
羽生劇場はやっぱりすごかった
午後4時過ぎに羽生さんがショートプログラムを滑るので、
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年12月25日
今のうちに入浴して洗濯もしてきます(^_^;)
夜になったらもうしんどいから。
いつでも「あとは寝るだけ」の態勢で準備しておきます(^_^;)
なんか音がすると思ったら、洗剤のジェルボールが容器ごと洗濯機の中に落ちていて、ほぼ溶けていた。
結果、水洗いをやり直し(TдT)
モニタ、全画面から復帰。羽生劇場堪能させていただきました(^○^)
今ニュースで演技フルでみたんだけど、ほんと全然詳しくないけど羽生くんって見てて幸せになるよね
— hinako (@_szkmzt_) 2020年12月25日
てかもうほんと幸せになって欲しいという気持ちになる(おこがましい)
全てが美で見てて楽しいよね、、
キッチンから話し声したから(母以外誰も居ない筈なのに😨)と思ったら80の母がめちゃくちゃ喜んで冷蔵庫に貼ってあるこの羽生くんに向かって「よくがんばったわねぇ〜偉いわねぇ本当にカッコよかったわよ?クリスマスに滑ってくれてありがとうねぇ〜✨」って1人でずっと話しかけてた pic.twitter.com/3JpRxr9Rbv
— 朔🐾断然猫派 (@sakurano1104) 2020年12月25日
フリーは和風の音楽なので、すごくそちらも楽しみです(^_^)
面倒になっているのは事実ですが(-_-;)
自分と比べるのは他人ではなく過去の自分。他人はいくらでも上がいるから劣等感を抱えたまま生きることになる。でも自分より下がいるってことに安心しても意味は無い。それより、過去の自分に負けない努力をしよう。一年前、半年前、一か月前、昨日の自分より、今の自分は成長してる?
— るろうに👤心理カウンセラー (@rurouni15967) 2020年12月25日
あー、幸菱文様も作り直しかあ。自分が納得出来る文様というと作り直すしかないかも。まあ、イラレに慣れるためには有効ですが。(過去には家紋もスタンプも作ったなあ)あの頃は色々余裕があったんですね~(ーー;)
過去のイラレの作りかけ素材を漁っていたら、10年以上昔に作りかけた凝った素材が出てきた。今はあんなの作る集中力がない。
もしかしたら私は後退しているかも…こういう仕事も向かなかったかも、と微妙に落ち込みそうになった(¯―¯٥) 浮上したつもりが突きつけてくる「過去の作品」という現実(-_-;)
他の面では進歩もあるんだけどな。なにもかもブログに記録しといて良かったわ( ´Д`)=3
もう治る、治らないにはこだわらない
いつのまにかそれにはこだわらなくなっていた
精神疾患は『一生治らない』の方が多数派のようで👀
— 七転八起おじさん(回復中)@8度目の再起編 (@tachi_a_gare) 2020年12月24日
でもそれだと、もしかしたらせっかく治るかもしれない可能性を、自ら摘んでしまっているようで..僕はあくまでも治したいし、これ以上付き合いたくはない😅
(あくまでも個人のスタンスであって、治らないという方を否定する意図は全くありません!
私は治る、治らないということにはもうこだわりがないな。
生まれつきの自律神経失調が何十年規則正しい生活をしてきても完治しないから仕方がない。社会も変わらないし。なるようになればいい、という母のケ・セラ・セラを踏襲してるね(^_^;) 私はそれでいいなあ、と。だから「共生中」ですね(^_^)
両親介護して看取って、弟の病気とアルコール依存に付き合って、古家のプチリフォームしてそれを売却して公営住宅に引っ越して。
それだけやっても病気が悪化せずにレジリエンスが強くなったのって、ケ・セラ・セラの賜物かもしれないね。思考の手抜きが可能になった?
ここはしっかり考えて動くべきところの見極めが可能になったというか。手をかけるところと抜くところが区別出来るようになったかも。
ストレス半端じゃなかったけど、自分の病気にこだわらなかったのが良かったな。いつも家族の事ばかり考えてた。生と死についても。
まあ、そういうのが私の性格のようです。私は「こだわらないこと」にたどり着いたけど、誰もがそうだとは限らないし、それぞれの道があると思うし。
でも個人としての哲学的なものや死生観を見つけられたのは良かったな。生きるために死を考えることが必要だったのです。
家族でずっと当たり前に「死」について考えて
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年12月25日
話し合ってきたのってすごい特別なことだったのか?
うちは本当に当たり前の話題だったぞ。
死について考えるのはイコール「生」について
考えることだったし。
将来のことと同じくらいに大事なテーマだったな。
こういう家族も珍しいらしいですが。
その過程で高校生の時から付き合っていたパニック障害は寛解したと言えると思う。どういう時に発作が起きるか?どうすれば予防できるかも自分でわかるからコントロール可能だし。
死にそうな恐怖にはもう十数年縁がありません。パニックの薬はほぼいりません。必要なのは人です(^_^;)
まあ、本当に死ぬのもべつにかまわないと思っているところがあります。投げやりというよりは誰かの役に立って死ねたら本望。
それもケ・セラ・セラです(^_^;) 母はとっておきのメッセージを残してくれました。ありがたいです(^^)
精神疾患が悪化しないで、多くの課題をこなしてこれた、っていうのはもしかしたらかなりいい点数になるかもしれないな、と考えて自分を励ます(^_^;)
現状維持で内的に成長できてたらかなりいいやん(^_^;)
主治医に「優良患者」と褒められるくらいの病気に対する改善の努力はしているし、それでもまだつきあうべき意義がきっとあるんだと思ってる。
私はそういう考え方なので、未来をあんまり悩まない。それよりもいまここに存在する小さな幸せをひとつでも多く見つけたいですね。辛くても絶望しない。とことん付き合ってもいいと思っています。いつのまにかとっくにそういう覚悟が出来ていたようです。
死ぬ時に「ずっと病気だったので得るものがなかった」と後悔するのは嫌だし。いい人生だったなあ、と思えるように気付きを増やしていきたいです(^_^;)
ただ、もうちょっと住みやすいと感じる社会にしたいのは切実ですが。
プレゼント考
昔、母に笑われたことがある。「あんたは小さい頃から誰かがものをくれはったら『どうしょ?どうしょ?何をお返ししたらええやろ?』て家の中を走ってた(ちょっとパニクってたらしい)」いや、これ自分では覚えてないです。
でもいまでもそういうところがあって、プレゼントの類が苦手です。反射的にお返しに悩むから。
だから私からなにかを、という時はまったくお返しとか見返りとか期待していませんので気にしないでね(^_^;)
もしもいただけるなら言葉だけで充分です(^^)
で、自家製キムチのお返しはどうしようかとまだ悩んでます(^_^;) ありがたいけど悩ましい(¯―¯٥)
Yahoo!ニュースで新記事更新。
— 外科医けいゆう|Takehito Yamamoto(山本健人) (@keiyou30) 2020年12月25日
毎年起こる餅による窒息について。
「餅を食べない」以上に有効な予防策はありませんが、食べる場合は対策をお願いできればと思います。
今冬は新型コロナ患者の急増により、救急搬送の受け入れが難しい病院がますます増える恐れがあります。https://t.co/0seCSygbau
お餅って命を賭けてまで食べたいものかあ?嫌いな私には理解不能です(-_-;)
みなさん、頑張ってなるべくトラブルがないようにしたいですね。
下描きとちがってすごく意志の強そうな姫君になった。
いま私の中にいるのはこういう姫らしいです(^_^;) 絵は正直だなあ。