偽物の大文字
こんな出来事があったようです。
これね、意外にも私もうちのご先祖も無関心な感じでした。
「下手な大の字やなあ」
「日にちもちゃうやん」
「LEDの色はあかんな」
…とか話してそうな気がします。怒ってる雰囲気ないんですよね(^_^;)
私自身が無関心だしね。意図は全く不明ですが、やっても意味なかった感じはするな(^_^;) ご苦労さん。
なんかTwitterでは犯人に勝手に目星つけられてるけど(^_^;)
本物の大文字は暖かいんです
お盆生まれは縁起が悪い?
ところで、私60年以上生きてるけど、これって初めて知りました。いや、むしろ私はご先祖さんとの縁が深いと逆に喜んでますが。
そもそも「死=縁起が悪い」という意識がないからなあ。
「誕生日を忘れられる」と言っている人もいましたが、それって年末年始でも同じでは?誕生日を特別扱いしない我が家ではこれも華麗にスルーしています。こういうのって完全に「生きているもの視点」だなあ、と思います。
ちなみにうちは8月10日が弟の誕生日、16日が私の誕生日ですが、母に言わせると、「ちょっと大きくなった頃に冬になるから」という計画出産の理由があったらしい。まだ赤子に風邪を引かせたくない親心だと思います。
でも私なんかほぼハネムーンベビーだと思いますが(^_^;)
この頃ではSNSでも誕生日はスルーしています。何かと面倒だから。ただ、私はずっと昔からあちらの世界に親和性が高くて、早く帰りたいとずっと思っていました。その辺が不思議なんですが、どうも生まれつきそういう価値観を持っていたみたいです。
なんとなくご先祖の守護は強力な気がします。
うちの家では死や病いについて話すことがタブーではなくて、それぞれに書籍などで学んでいた経緯もありまして。そういうことが当たり前ではないのが普通なんだと知ったのはネットが出来るようになってからここ20年くらいです。
子供の虐待や性犯罪の多さや、当事者から聞かなければ知らなかったことがたくさんあったのはネットで知るまでは気付かなかったことでした。だからそういうことを知ることが出来たのはとてもありがたいです。
安楽死は希望しません
2月に弟が鼻出血の検査と止血の為に、血管にカテーテルを入れたんだけど、鎮静剤が非常に気持ちよくて「ああ、このまま死んでもいいな」と思ったそうです。実は私もその感覚がよくわかります。経験ないけどなぜかわかるんですよね。
そういう安らかな死は「よく生きた」というご褒美になるんじゃないかと思ってます。
自分がお願いするとしたら鎮静でいいと思っています。自分以外の誰かに決めてもらわなくてもいいように。だから安楽死は希望していません。
こういう病気持ちですが、希死念慮があっても自殺が駄目なことはなぜか本能的に知っている姉弟。
あちらの世界は大変に懐かしいですが、きちんと肉体のあるうちに肉体がないとできない課題をやりとげて成長して、その上でゴールに飛び込むと「お疲れ (^_^)」と迎えてもらえるらしいです。
これもどうして知っているのかわからないけど、なぜか、昔から知っている。(多いよね、こういうことがお盆生まれかもね)
あ、だから私は基本的にほとんど絶望しないのです。見えない応援もあるのがわかっているから。両親があちらに行ってものすごくそれは感じます。
なんでだろう?お盆生まれって自分でも不思議だ。そういうことがすごく当たり前になっている。あの世ありき、魂ありきがごく当たり前なんですよ。疑問の余地はまずないです。でもこういう感じ方って多分普通じゃないよね。
でも私はこういう意識に支えられてここまできました。ちゃんとマラソンを完走する義務もあると思います。私という軸のメインになっているのかもしれません。
ちょっと見えた姪っ子
姪っ子が3歳くらいの時、お盆に母方の実家のお墓(山の中にある)にお参りして「わー、人がいっぱいいるねー」と言った話を思い出した。「いないよ、そんな多くの人。うちの家族だけだよ」と義妹。「それでどうしたん?」「そうか、それは良かったね」とだけ言ってさっさと連れて帰ってきた、と。
姪は割とそういうのが見える子で、うちの仏壇から「白い人が出てきた」とか中学の時も言ってたけど「うちの仏壇やからうちのご先祖さんの誰かやと思うで。心配せんでもええよ」慌てず騒がす、普通に穏やかに対応する家族。うちはやはり昔からこういう雰囲気でした(^_^;)
私は匂いと気配しかわからないのにね(^_^;) あ、でもなんか意思はわかる。いつも「違ったら教えてね」と頼んでるけど。
筋肉が判別できるようになった私の足です。
ビフォー画像も撮っとけばよかった。なんかそれどころじゃなかったからなあ。