つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

生きているうちにしか出来ない大切なこと

 

何を優先するべきか?

 

昨日も足(向う脛)の皮膚がテカっていて、マッサージの先生に「早めに検査とか受けた方がいいのでは?」と言われたんですけど…。どのみち9月ごろにクリニックで血液検査の大雑把な予定はあるんですが…。予約だと9月半ば過ぎになってしまうのかなあ?

 

お盆も終わったんですが、行った方がいいところは色々あって、まずはむくみ関係で内科。それから電子体温計の音がまた聞こえないので耳鼻科。髪がうっとおしいので美容院。どこから行くべきか悩みます。どこもきっと検査が必要だから医療費かかると思うし…(ーー;) やだなあ…(*-д-)-з

 

内科に行くとしても、ここ10数年くらいのメモを書いていかないと自分でも混乱すると思っています。この頃クリニックの受診の時もよくメモを使います。それでないと効率良く説明ができないので…。長年通院していると、効率を考える患者になってしまいます(^_^;) 私の場合は元々の性格かなあ…??

 

 


何が正しいのかわからない(ーー;)

 


それでお盆も終わりまして、お盆だからと行って特別なことは何もしていないんですが、母が果物好きなので、巨峰をお供えしたくらいです。

 

母が元気な主婦だった時は、毎朝お水とご飯を仏壇にお供えして、母が般若心経をあげたりしていましたが、私は本当に何もしていません。お茶は毎朝あげていて、ご飯は炊いた時だけです。なんかもう、こういう病気だからできないことがすごく多いです。無宗教にしておいてよかったかも。

 

形の上でやれることが中途半端になるくらいなら、いっそ最初から手を出さない方がいいというのが私の考え方で。うちはもともと日蓮正宗だったので(ひいじいちゃんが大正時代に始めたらしい)うちには神棚もあったことがありません。

 

何故ならば日蓮宗の御本尊には真ん中に「南無妙法蓮華経」というお題目がどーんとあって、その周りの曼荼羅には仏教の偉人だけじゃなくて、神道の神様も名前が刻まれてあるからです。御本尊を拝めば神様も拝むことになるというわけですね。

 

今更神棚をおまつりしても中途半端になるのは目に見えているので、だったらやらないほうがマシだと思いました。

 

でも信教の自由は保障されています。先祖の意志を無視するわけではありませんが、子孫の自由も尊重してください、と心の中で対話をしまして、なんとなく納得してもらったような…? どのみち、甥や姪が他府県にいるので、私と弟が死ねばおしまいです。

 

何かあるならば、甥や姪には影響を及ぼさず、私が全部背負うので、宜しくお願いします、と言っちゃった(^_^;) もしもロクな死に方しなかったら、先祖が怒ってるのかもしれませんが…。どうもそれは感じられないんで、しばしば思い出すことで供養をしているつもりです。

 

先祖を説得するからには諸々のことを自分が引き受ける覚悟もしているのです。はい。

 

 

 

お互い生きているから…

 


いつの間にか私も結構検索の達人になりまして、何気に追いかけていましたら、両親の在宅介護の時に大変お世話になったケアマネさんの事務所を見つけてしまいました(^_^;)

 

以前は京都で仕事をされていて、事務所開業の時には私もリクエストで大きなイラストを描いてパネルにしてお祝いさせていただいたんですが…。

 

2年ほど前に「もうこちらの事務所は閉めます」とのことで、その後のことがわからなくなっていました。ご自宅の住所は知りませんでしたので…。

 

でも母が亡くなってから、ずっとお礼の手紙を出したいと思っていたんです。でもどこに送ればいいのかわからかなかったから…。

 

昨日見つけたところではケアマネの仕事ではなくて、精神科の訪問看護の方をされているようでした。過去に精神科の病院に勤務されてたのも知っています。

 

これを知った一昨日の段階では迷っていました。どうしたものかなあ、とTwitterでつぶやいたら、「伝えることは大事だし、素敵だと思います」と言ってくださった方がいらして、「そうだよね」と思って、心を決めたらすぐに手紙を描き始めました。

 

で、昨日、印刷して、画集などと一緒に送りました(^_^;) 間違っていなければ届くと思います(^_^;)

 

 

両親を看取って思うことなんですが、「伝えたい大事なことは先延ばしにしないで、お互いに今、生きている時に伝えないとなあ」ということでした。

 

みんな普段は忘れてるけど、今日は会えたからと言って、明日も元気で会えるとは限らないんですよね。家族だってそうです。「行ってきます」と出かけた家族が元気で帰ってくる保障は実はどこにもありません。どこかで事故に遭うかもしれませんし、大きな災害が起きて、全く想像もしないことに巻き込まれて帰らぬ人となってしまったケースを我々は何度も見てきたはずですし。

 

それを思うと、いまこの時に生きていて、大切な人と一緒にいられる幸福が奇跡のように思えます。だから伝えたいことは今伝えよう、心を込めて。そして今日の幸福に感謝して、明日の幸運を祈りたいですね。

 

喧嘩をしていても、これ限りかもしれない、と思うとちゃんと仲直りしたほうがいいでしょ?

 

伝えなかった後悔よりも伝えてから後悔したほうがいいんだ。だから私も手紙を書きました。仮に当たって砕けても伝えなかったよりはずっといいです(^_^)

 

 


死に向き合うとどこか哲学的になる

 


この頃思うんですが、人には持って生まれた天命というか、そんなに大袈裟なことじゃなくても「やるべきこと」が託されていて、それをきちんとやり遂げないと死んじゃダメってことになってるような気がします。

 

自殺を図って、普通ならもうダメな状況から助かってしまう人もいますよね。大事故から九死に一生を得て助かる人とか、そういう人にはやっぱりまだこの世でやるべきことが残っているんだと思う。

 

ちゃんとやるべきことをやって、初めて安らかな死に迎えられるんじゃないかなあ…。

 

人によって「やるべきこと」は全部違うから、世界をどうこうするようなことから、ささやかに生活の中で出来るようなことまで…。天命が大きなほど大変な運命になるのかもしれません。

 

これは私が両親を送って感じたことなので、宗教とかそういうのとは関係ありません。でもどこかに個人とつながる大きな「何か」を感じることは確かですね(^_^;)

 

 

 

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