おこがましいとは思いますが、これも使命感ぽくて
最近こういうことが多いんですけど…。
無神経な人は自分の神経が痛まないから、それが誰かの痛みになるという自覚も持たずに、神経過敏な人をグサグサ傷つけている。最近、そういう事例が多いような気がする。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年7月26日
なるべく寛容になりたいけど、これはやっぱり良くないだろう、と思えることは見逃せないのよね (ーー;)
だから私が主張すること守ることには意義があると思っております。
自分では発言したくても出来ない弱い人たちのかわりに。
こういうご意見とかも。出来れば身内を介護して看取った経験がある方にもっと本音で発言して欲しいですね。
気付いたのですが、ALS事件に端を発して議論をしている人々の中で、介護や看取りを経験したことのある方が圧倒的に少ないのではないかということです。
— supa[スマホ壊れた] (@supa4Tw) 2020年7月26日
つまり、死というのはこういうことだと腹の底から辛さを伴った理解が無いと、優生学や尊厳死、経済活動といった2次的な議論にぶれていきます
本当ですね。まだ若い世代も多いと思いますが、この頃ではヤングケアラーの問題もあります。私はもう年齢的に祖父母や伯母や、もちろん両親も介護のキーパーソンで関わりました。自分もよく死にそうになってたし。だからずっと子供のころから身近なテーマでした。それだけに伝える重要性を感じます。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年7月26日
目に見えない世界を想定して生きること
私は今生で地球から卒業するらしいので(あ、これは2月か3月にバケネコさんに見ていただきました。バケネコさんは現在とてもお忙しいのでリンクは張らないでおきます)卒業試験に近くて試練のハードルが高くて厳しいらしい、という説を信じて励みにしている。
ちゃんと卒業しないとまた戻ってくるのは嫌だし。
(でも地球で誰かのサポートする可能性もあるらしい)
そう思うとかなりのことでも耐えられる気がします。マラソン40キロ地点あたり。そこまできていて、いまさら棄権してまた振り出しに戻るのは嫌だし。
自殺したら卒業出来なくなるんだよ。それは嫌だしね。自殺志願者の方、それは覚えておいてください、そのうえで死ぬというならもうあえて止めませんが。
もう、本当にレジリエンスが鍛えられっ放し (ーー;)
取りあえず私が肉体的に死んだ後も地球は存在しそうだ。それじゃあ、少しでも人類の行き先をいい方向に向かせておきたいね。
宗教とかではなくて、目に見えないものを真摯に見ないと人はしばしば間違えると思っている。悪意でなくても目に見えなくて気付かれぬものはあまりにも多い。
これは私が生まれながらに持っている(知っている)もので、誰かに教えられたとかではないんです。気がついたら当たり前に私の中に存在しているものなので信仰とも言い難いけど、私にとってはごく当たり前のことです。
生まれつきのものだから他の人たちの集団に紛れたときの違和感が半端じゃなかった。とてつもなく孤独を感じましたよ、幼児なのに(-_-;) 救いは両親がこういうことに理解があって、私が感じていることを真面目に聞いてくれたことかな…。それはとても恵まれていましたが。
でもこれも誰かに押し付けたいわけではありません。こういう感じ方とか考え方もあるんだよ、ということで。少しでも生きやすいと思えたり、生きることに意味を感じられたらそれでいいと思っています。
性別とか年齢とか職業とかの外見に見えないものを見逃さないようにしたい。私は自分の生の終わりまでその視点を持ちつづけたいと願っている。この視点で見るとあらゆる人は平等であることがよくわかります。
「本当に大切なものは目に見えない」
それすら忘れ去られがちな昨今なので、世の中がどんどんシビアになっていく。
生産性というならば心が生み出すものは金銭に換えられない価値があるものだ。それに気付かない人は絶望して死に至ることもある。それは本来ではないと思う。大きなまちがい。
ああ、本当に声と話し方はその人の本質的なものを表しますね。癒される声とか話し方は確かにあって、実際に会って話してもそのとおりだったりします。なので私はあまり外見を見ませんね。その人の本質をつかまえるためにあえて目を閉じてみることが多いです。「見た目が9割」ではないんですよね (^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年7月24日
転んでもべつにええやん
「えー。そんなことくらいで」という理由で死に至る人も少なくない。私が感じる「そんなことくらい」とご本人が感じる「そんなこと」の間には相当差があるのかもしれない。でもたぶん、少しだけ視点を変えれば全然違うのになあ、とはよく思う。
医学部受験して、合格発表が翌日なのに自殺した人とか(ちなみに合格だったそうです)。受験が原因だったわけではなさそうだけど、ずーっと前しか見てなくて失望するような何かがあったんでしょうか??謎ですが。
人生、つぶしがきくような余裕があるほうがいいなあ、と思いました。せっかく頑張って来たのに振り出しに戻るのは嫌ですし(-_-;)
私は優生思想ツイートで話題のミュージシャンの方と同じ学校出身なんですが、その学校は昔からホントそういう考え方の人が多かった。なんなら校風と言っていいくらい。昔はそこそこ有名な進学校でした。恐らく彼も優秀だったのでは。私はね、「勉強できるバカは多い」ってことをそこで覚えましたよ。
— つれづれぱんだ (@trzr_panda) 2020年7月25日
なんていうか選民思想なんですよね。学校側も暗に「君たちは選ばれてここに来てる」みたいな教育だった。今親になって思うけど、そういう環境に身を置けるのは98%投資してくれる親がいるおかげ。本人の努力なんて2%だよ。実力や意欲があってもその環境を選べない人を馬鹿にするのは、教育とは呼ばない
— つれづれぱんだ (@trzr_panda) 2020年7月25日
勉強ができることと真に賢明であることとは残念ながら無関係なんですよね。なので私は勉強が出来ることと人格者であることは切り離しています。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年7月26日
日本人で丿ブレスオブリージュやペイフォワーの思考と行動が当たり前に出来る人が少なくて哀しい (/_;)