風見鶏のように…
長いこと生きていますと、双極性障害って人生の相似形みたいだなあ、と感じることがあります。
双極性障害には気分と体調の波の上下動がありますが、そういう波は人生にもあって、いつも順調な穏やかな波の日ばかりではないし、風向きも変化するし、風の強さも変化しますし。
向かい風の時はいくら前に行こうとしても押し返されるし、後退することだってあるし、そういうのを「運気の波」っていうのかな?そういうものがあることが実感としてわかってくるんですよね。
あえて占いなどに頼らなくても、冷静に見ていたら自分でわかることも多いです。
向かい風の強い時は無駄なあがきはしないで、おとなしくその場でできること、たとえば勉強や目標に向かっての準備の期間だと思って、あまり動かない方が得策でしょう。静かに力を蓄える、もしくは休息する時期だと思っていいんじゃないかと思います。
双極性障害だとうつの時期がそうかな。でも1型の人ですと躁の時も向かい風を意識しないとまずいことになりますね。適度に抑えてくれる向かい風が必要になります。
両極に触れる時はやっぱりどちらが必要なのか見極めるのが大事だと思います。
軽躁でも、やや弱めの向かい風が吹いている、という意識は必要かな。
風向きは常に変化するもの
きちんと準備したら、背中を押してくれる追い風の波に乗れるチャンスを見逃さずにいけるかもしれませんよね。
風は常にどちらの方向からどういうふうに吹くかわからない。…これって本当に人生そのもののように思えます。風を読んで、それに合わせて体制を整える、というのはやっぱり基本かな?と思います。
だから私も小さなことであまり右往左往しなくなったように感じます。風向きは常に変わるものだから、それなりに対処すればいいかな、と思います。
うつうつとした気分も永遠には続かないし、人に迷惑をかけるようなこともずっとは続かない。ちゃんと治療すればね(^_^;) もともと気分なんて悟りを得た人みたいに変化しない方がおかしいのです、普通の人間ならば。
向かい風の進みづらさも永遠には続かないし、追い風も永遠には続かない。何度も巡ってくるいろいろな風に慌てても逆らっても仕様がないかな、と思います。
それよりも冷静に風を読んで、きちんと準備して、そのチャンスが来たら風にうまく乗れるように心構えと観察眼は必要ですよね。こういうのってきっと人生を渡る方法と同じだと思っています。
たまに天が粋なことをしてれたりする
Twitterでつぶやいていたように、本当にふとした瞬間にオセロのコマが全部ひっくり返るようなことってあるんですね。私はそういう経験をするたびに「うーん…そうきたか…」と毎回感心するんですが、自ら行動する時には時々そういう不思議なことがあります。
ささやかでもそれがあるから、人生頑張ってみようかな、といういい励みにもなっています。
人事を尽くさないと天は動いてくれない、っていうのも本当だと思いますけどね(^_^;)