いまだうつの中にいるようです
まだうつから抜けていないようで、頭痛もするし、なによりしんどいし、どうにも気力がないんですが…。とにかく思いつきだけで書いてみようというあたりが自由なブログたるゆえんです。
テーマも決めていませんし、なにがどう進むかもわからない。まあ、大抵私の文章ってそうなんですね。予定調和がたぶん存在しません。自分でもどちらに進むか最初にはわからなかったりします (^_^;)
漫画を描いていた頃は、一応シナリオらしきものもあって、ネームも作っていたので、クライマックスシーンの想定がちゃんとありまして、そこへ無事に辿り着くにはなにをどう進めたらいいのか、勝手に動くキャラクターを上手く方向づけしながら導く、というなかなかスリリングな作業をしておりました。今はそこまでの気力は多分ないと思いますが… (ーー;)
ネット人格を持つ人が存在するらしい
昨日かな?Twitterを見ていると、どうも人によっては「ネット人格」というものが存在するらしい、となんとなく理解できました。Twitterみたいに特に匿名のSNSではそういうことも可能なのかもしれませんが…。家族には内緒の裏アカウントなるものもあったりとか(もっとも家族にはかなりの確率でバレバレらしいですが)
ネット人格というのも思えば不思議な設定ではありますね。
私などはそもそもブログ=個人の日記、から始まっているので、Facebookは実名のSNS、Twitterは匿名ではありますが、もう面倒で実名でやってるし、それらのすべてで同じ人格でやっております。…というか、別人格を設定する必要性がないので…。
リアルでお会いしても外見のイメージ以外はネットのイメージとほぼ同じではないかと思っております。
もともとイマジナリー・フレンドが昔から自然に存在しているから、その分複雑な性格かもしれませんが…。
カバラの数秘術というのがありまして、それによると私のライフナンバーは「9」になるのですが、この「9」というのは「1」から「8」までのすべての性格を含むだけにかなり複雑なのですね。「1」から「8」の人までを理解できるというのかな?
複雑なものを自分の中で無理なく統合させている、というあたりが「9」であり、いまの自分でもあるようです。結構面白いですが (^_^;)
絵はすごく正直なんです
絵を描く人間には普通のことですが、よく「絵は描く人に似る」とも言われます。私の考え方では「絵柄そのものが似る」というよりは「絵から受ける印象が、それを描いた人の印象に似ている」というのが近いと思います。…そう、かなり内面的なことの反映なのですね。
絵は正直だから、鋭い人には見るだけでバレバレになってしまいます (^_^;)
だからネット人格を作ってもおそらく無駄だと思います。まあ、その方が潔くていいなあ、と思いますが (^_^)
絵を公開した時から、自分の内面を公開したのと同じような感じになるので、まあ、そこで開き直るというか…。「作品」ってそういうもんだよね。
Twitterあたりだと、よく作家の方や漫画家さんが政治的なこともつぶやいておられますが、作品の中ではそういうことを垣間見せることもなく、万人が楽しめる作品になっているあたりがさすがにプロだなあ、と思うことがあります。まあ、Twitterの中でのつぶやきくらいはいいんじゃないかな、とも思いますが…。こだわる人は見ないほうがいいのかもしれないけど…。
気にする人は当たり障りのない話題しかつぶやいておられませんけどね。まあ、そういうのも自然なことかなあ、と思います。「作者の素顔が垣間見れる時代になったんだなあ」と改めて思います。
今日の午後はマッサージ♫