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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「幸」と「辛」についてなんとなく考えてみた 感情が揺れる日に

 

感情が揺れて困る

 

朝一番に保健センターに行って、障害者手帳の更新を済ませてきました。ひとまずこれで今年の用事は済んだような気がするんですが…。本当にそうだといいなあ。

 


どうも昨日から感情面が不安定になっていて、気分が揺れています。

 

母の胃ろうの問題についても悩んでいたり、これはもしかすると解決の糸口が見つかる可能性もあります。内視鏡を嫌がっている可能性もあるので、もしも必要ならば、全身麻酔で苦痛なく処置が可能な病院を探して、そこでお願いするのもアリかなあ…と。

 

私も喉の神経が普通の人の10倍以上は過敏なので、死んでも胃カメラは飲みたくない(死んだほうがまし、と思う)けど、全身麻酔で知らない間にだったらまだ可能かな?と思えるので…。今度行ったらそのへんのことを母に確認したいと思います。父の場合は「とにかく生きたい」という意思が強かったから、こんなに悩まずに済んだんですけどね…。

 

こういうことは個人的なことのみならず、ひいては国全体の安楽死問題にも関わってくるので、慎重に考えないといけないのですね。母本人も家族も。もっと認知症が強くて、そういう決定ができない場合の家族だったら、それはもっと辛いことになります。家族の生命に関わる選択はいつも本当に辛い問題です。

 

 

 

相反するものは実は表裏一体にある

 

で、さきほど、本の帯にカットで描きたいなあ、と思って、甥っ子の制服の写真を探していたら、姪っ子の結婚式の写真も含めていろいろ見つかって、それを見てまた泣いていました。

 

なんていうのか「幸せで辛い」という不思議な感情です。これはなんなんだ??相反するような感情が同居している。これも病気ゆえか???

 

 

そういえば「幸」という漢字と「辛」という漢字は一画しか違わないんですよね。この「一」の違いはなんだろう?とまた調べてみる。

 

okjiten.jp

 

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あら?似てるけど、全然違う。枷から解き放たれて自由になった「幸」

 

刺青を入れられて刻印される(古代では刺青は罪人の印でもあったそうです)「辛」

 

「自由」なのと「不自由」なのとはえらい違いではありますが。

 

そうすればまあ、なにかの「枷」に囚われている「不自由」は、結構な確率で自分で取り払うことが可能かもしれません。その枷を自分で取り払えれば「幸」になるわけですね。

 

刺青は古代には呪術的な意味合いもありましたが、自主的に特別な能力を持ったり、才能を持ったりした人が入れるのと違って、罪人の印として入れられると、生涯それが消えないので、本当に辛いことであったと思われます。罪の印を背負う辛さは、できれば味わいたくないものです。

 

漢字について考察している場合ではなかった。

 

 

でも、「幸せ」な気分と「辛い」気分とは本当に並び立つことも出来るんだな、と思いました。そこが人間の不思議なところですね。もしかするとこれは視点の変化だけで、案外自由に変えられるものなのかもしれません。

 

「幸」と「辛」とは背中合わせで、実はとても近い場所にあるのかもしれません。辛さの中から視点を変えて見つける「幸せ」。確実にあるよね(^^)

 

 

 

 

一応、モザイク入れときます。ちょうど当時の写真が見つかった。
タイミングよく敬礼もしてるし、これを参考にしよう、っと(^_^;)

 

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よそ見してるがな…。

 

 

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