ちょっと休息の日曜日でした
昨日はなるべくネットに繋がないで、地味な作業をしておりました。
私って人間が嫌いなわけじゃないし、むしろ好きだと思うんですが、ネットを介して伝わる情報でも溢れるくらいだとやっぱり疲れるみたいです。
「たかが文章」だと思うでしょう? そうじゃないんだよね。文章の中でもかなりの情報というか、書き手の気持ちや感情やもろもろ含まれていますから、そういうのをやっぱり無意識で察知してるんですね。人ごみで不特定多数の感情や思念にぶつかるよりはマシですけど、でもネットでも相当疲れる時はあります… (ーー;)
私は生まれつきそういうタイプの人間らしいので、仕様がないですね。気候変化に影響されて、人の感情にも影響されて…。
まあ、でも心身が辛くなる意外はわりと精神的にはタフなんじゃないかとも思うこのごろです。感受性過敏だけど、それで他人に影響されることってないんだな。私はどこまで行っても私です。
「おもかげ復元師」 いま、今日は生きているけれど
「当たり前に、みんな明日も生きてると思ってねぇか?明日はおめぇさんたち、この世にはいねぇかもよ」
一万円選書の中の1冊です。リストの中に「霊性の震災学」を入れたから、これを選んでくださったんだなあ、と思いました。
女性納棺師さんのお仕事の記録です。が、この方の大きなお仕事は御遺体の生前の面影を綺麗に復元すること、なのですね。あまりにも変わり果てた遺体に対して、家族は正視が辛いのはともかく、その人の「死」すら認めることが出来ない場合が非常に多いのだそうです。
その方の生前の面影を、丁寧にマッサージをして、笑い皺を辿って、綺麗な形のお顔に復元して初めて、ご家族は「ああ、うちの子だ」と認め、抱きしめ、取りすがって泣いて、そして心ゆくまで別れの時を持つことができるのですね。
そのための技術を持っておられる、素晴らしいお仕事だと思います。
畏敬の念すら感じる
その方が本の後半で、岩手県にて東日本大震災に遭遇し、自らも被災しながら、沿岸地域に出掛けて、復元のボランティアをされた記録でもあります。
随分多くの方が亡くなられました。3、4人の家族を亡くしてただ一人生き残った方もおられます。まだ生まれてまもない赤ちゃんや幼い我が子を亡くした親。住民の命を救って自らは亡くなられた消防団の方々、施設に押し寄せた津波から救えなかった入所者の亡骸を探し求めるケアマネさん…などなど…。あの時のことは本当に思い出すのも辛いのですが…。
津波に呑まれ、火災に遭って、さらに日にちが経つほどに損傷がひどくなる御遺体を心を込めて復元していかれるボランティアは本当にすごいことだと思います。
かけがえのない人とのかけがえのない別れをきちんと済ませるために…。グリーフケアというのはすでに始まっているのですね。
この本が「辛くて最後まで読めなかった」というのは身近な人の「死」を経験したことがない人で、「何度も読み返している」というのは身近な人の「死」を経験した人なのだとか。
あとがきにこう書いておられます。
ーーーーー身近に「死」を経験した時、人はそのできごとを「その方の人生そのものだ」ととらえます。そして、その方が歩んできた人生を偲びながら、自分はどんな関わりを持ってきただろうと、過去に深く思いを馳せます。
「死」は終わりを意味するのではなく、残された人が、その方にもらったひとつひとつの記憶を確認し、生活のなかに組み込んでいく作業だと感じます。ーーーーー
…まさしく私はそういうことをやっているなあ、という自覚があります。家族との魂の距離を身近に感じるからこそ、なんとか生きていけるのだと思いますし、そういう自分がいるのは家族ひとりひとりの人生と死を大切に段階を踏みながら見つめてきたからだと思っています。
「ああ、人間が好きだなあ…」と不思議に大変暖かい気持ちに満たされる本でした。生と死を大切に見つめて生きたい人に(そうじゃない人にも、今「死にたい」と思っている人にも)強力にお勧めしたいですね (^_^;)
これ、予約投稿しておいて、出来れば母の所に行こうかな、と考えております。