10日ぶりかな?母のところへ
今朝は非常に気分が悪く、なかなか起きられなくて、これはもう、母のところに行くのは無理かなあ、と思っていました。新しい保険証を届けたくてね。ちょうど仕事の合間でもあるしね。
でも半分諦めていたけど、なんとか起きて、トーストを齧りながらネットを見ているうちに徐々に気分がマシになってきました。トーストじゃなくて、朝からケーキとか食べたほうが効果的な可能性もありますが、まあ、そこは抹茶クリームを塗ったトーストで。それと朝は抹茶じゃなくて麦茶が定番です。バナナがあればそれも食べますが。
気分がマシになったので、思いきって行ってきました。雨がちでしたが。
母は元気でしたが、やっぱりその証拠に「はよ帰り」でした (^_^;) 本当に顔だけ見たらそれでいいみたい。もっと近ければ散歩がわりに毎日でも行けるけど、それはちょっと無理なので「また来るし」といつも握手して帰ってきます。
綺麗に忘れていた祇園祭
ユニットのテレビで祇園祭の山鉾巡行をやってました。ころっと忘れていました。雨がちでも照らなくてかえってましじゃないかな、と思います。帰りのタクシーの運転手さんが「すいません。交通規制がわかるんで、これつけさせてくださいね」とテレビをつけておられましたが、通れないのに、そちら方面へ行ってくれ、というお客さんがあるようです。なるほど、説得しやすい画面ですね。
地元の人間は、宵山に若い人は浴衣を着て出掛けるのが慣習みたいになっていますが、それ以外にはまず行きませんね…、と…。私も巡行には20数年前に行って、暑くてすっかり懲りました。
上京区にいた頃は御所の近くだから、学校も早く終わりになって、時代祭や葵祭りは「見てきなさい」ということで、結構馴染がありますが、なにしろ近いから家族で行きました。御所の中。まだ季節的にもきつくないですよね、五月と十月だし。
「母はハタチの夢をみる」
昨夜寝る前に読んでいた漫画。
75歳の母の認知症が始まったことを案じる息子。最初はまだらボケというのか、まともに戻ることもあったけど、息子のことを弟だと思い、やがては他人だと思うようになる。
で、自分はまだ結婚前の二十歳の乙女だという認識なのですね。だから気の毒にお父さんは夫ではなくて父親だと思われている。結婚後の50年は母の記憶から消えてしまった。
その事実をなかなか受け入れることは出来ない父。「今朝起きたら隣に知らないおじいさんが寝てるのよ!」と息子のところに電話が来る。「大丈夫、その人はあなたを守ってくれる人だから」と安心させようとする息子。
祖母の変化にショックを受ける孫。義父と夫の頑張りを見ていて、「とても頑張ったけれども、このあたりで外部のヘルプも必要だと思う」と提案する妻。
そもそもこの「母」のモデルは逢坂さんの義母の変化でもあるらしいです。もちろん全部ではありませんけどね。逢坂さんは私と同世代ですから、なんだかいろいろとひしひしとくるものがあります。
さすがに漫画だから、「自分を二十歳だと信じている母」は二十歳の姿で描かれています。心象ですね。でも鏡に映った本当に姿に脅える描写とか、シビアだなあ、と思います。
が、この結婚後の記憶がない「二十歳だと信じている母」がもういちど父と新しい関係を築いていく姿には心に迫るものがあります。この話を思い出しました。
拡散されすぎて、どれがもとの話しかわからなくなっていますが、私の記憶ではこれが一番原型に近いです。
ラスト、お赤飯だったような気もするけど…。まあいいか。
もう一度同じ人を好きになる。もう一度同じ人と恋をする。たとえその人との毎日を忘れてしまっても…。人間の脳は違う形の奇跡を起こすのかもしれませんね (^_^;)
戦後史の中で生きてきた世代たち
私は基本的に高齢者の味方です。
ものが豊かでない時代に、祖父母や両親がどういう苦労をしてきたか、全部後ろから見ていたから。戦後の高度成長期を築く礎になった人たちは、自分たちは贅沢はしませんでした。日直や休日出勤やパートや内職や…。仕事以外では海外旅行に行くこともありませんでしたし、とてもつつましく暮らしてきました。
思い出すと涙が出てくるけど、そういうことはちゃんと伝えておかないといけないと思っています。
ああいうことを知らないで高齢者が贅沢だなんて言うと、バチが当たるよ!!o(`ω´*)o
みんなしてバブルに浮かれるようなことがなければ、無駄に望み過ぎる人生はなかったのかもね〜。まあ、バブルそのものも私とか家族には関係ないことでしたけどね。あれってなんだったんだろうな。あの時期にもうちょっとみんなが堅実に過ごせていたら、今の状況も変わっていたかもしれないなあ、とふと思ってしまいました (ーー;)
特養の駐車場で咲いていた白百合
もうちょっと下から撮りたかったけど、しゃがんで膝がズレるのが怖いのでやめました (ーー;)