ものすごく罰当りなことだと思いつつ、あえて愚痴こぼしします。
「ご飯を作る」という「苦行」から開放されたい(>_<) 毎晩寝る前にある材料で献立を考えて手順まで考えて寝ても、朝になると気分が悪いのと鬱なのとで結局作れない、この無力感とサヨナラできたらどんなにいいかと思います (ーー;)
まあ、ご飯だけじゃなくて、ホームセンターくらい行こうかなあ、とか花の写真を撮りたいなあ、とか「夜は」思っていても、朝になると動けない現状がすごい嫌です。かろうじて通院と母のところと、あと役所関係の用事は行けるけど、それ以外の外出がやっぱりしんどいのと面倒なのとで行けない。
GWは地元のお祭りもあるけど、他にもいろいろあるけど、やっぱりしんどいから行けない。かろうじて仕事だけは出来るけど、GW中はそれも多分入らないと思うし。…この無力感が非常に辛いです。無理に動けばあとで反動が来るのはわかっているけど…。でも人情としては動きたいのに動けないのがね。
障害者手帳があると、市バスや地下鉄は無料だし、美術館や博物館や動物園なども無料なんですが…それなのにそこまで行けるほどの元気がないんです… (T-T) 明日は出来ればまた母の所に行くつもりですが。で、ついでに買物して帰るのがせいぜい…。微熱期でもあるしね。だからGWも年末年始も楽しくありません、しんどさと無力感に苛まれるばかりです (ーー;)
気を取り直して。
このあいだ青春の1冊で田辺聖子さんの「隼別王子の叛乱」を取り上げたきっかけで、○十年ぶりに田辺さんの王朝物の本を2冊再読しました。
「おちくぼ物語」は旧タイトルが「舞え舞え蝸牛」だったのですね。そちらの旧版も持っていますが、新版の表紙の絵が誰かと思ったらいのまたむつみさんでした。
活字が大きくなっているから眼には優しいなあ、と思います (^_^;)
「おちくぼ」の方は継子いじめされている姫君が、貴公子の手で救い出されて幸せになるという、まさしく王朝版シンデレラ物語です。主役カップルよりも脇を固めるキャラの方が面白い。継母の北の方、姫君大事で姫君の幸せばかり願っている阿漕、その恋人の帯刀。(彼の乳兄弟&主人が姫を救い出す貴公子)パターンは読めていても、はらはらさせられるシーンも、ちょっと笑わせるシーンもあって、とてもスムーズに読める作品です。
「とりかえばや」の方は性格が男らしい姫君と、女らしい若君(異母兄妹)とが年頃になって、それぞれに反対の性別のまま出仕することから起きる悲喜劇ですが、これもきちんと納まるべきところに納まります。トランスジェンダーというほどには深刻な問題ではなくて、主に男として社会に出た姫がいかにして自分のあるべき姿、あるべき居場所を見つけ出し、運命を切り開いていくか?というテーマで描かれています。
田辺さんは作者は女性ではないかと推測されていますが、私もそういう気がします。
当時の女性は身分が高くなるほどに不自由な毎日を送るわけで、外にも出られず、政略結婚が主でしたし、そういう境遇を嘆く女性も少なからず存在しただろうと思います。
彼女達に使える女房の中には世事に長けた人物やクリエイティブな才能に恵まれた女性もいて、女主人のためにワクワクするような物語を書いたんじゃないかなあ、と想像できます。だから私には平安女流文学=同人誌の始まり、っていう気がするんですよね (^_^;) 紫式部や清少納言も初めはそうだったと思います。書いてみたら人気が出ちゃって、読者に「ねえ、続きは?」と期待されて、ますます筆がのった、という感じ。
それが次第に深いものになって、いつのまにか文学になっていったのではないでしょうか?この経過は現在の作品でもそうだと思います。まあ、平安時代に二次創作はなかっただろうけど…。
最初の読者はわずかな人数。もしかしたら発表するつもりもなかったかもしれません。創作ってそういうものなんだよね。でも読者のニーズを満たすような内容があって、それでどんどん描き写されたんでしょうね。印刷がなかった時代だしね。
でも、だからこそ気分は同人誌、なんですよ (^_^;) 専門の学者が言っておられるわけではありませんが、私にはそういう解釈が一番しっくりくるのです。
同人的なツボを押さえてあるから、1000年以上経った現代でも面白いのです。物語の始まりはそういう「わくわく」から (^_^)