お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

見えなくてもあなたを応援している人はきっと存在する

昨日は夕方にしばらくダウンしてました。その後にご飯を食べたらちょっと復活。
この「食べるとましになるしんどさ」が不思議です。ちゃんとお昼も食べたし、低血糖でもないんですけどね…。

 

家の中ではなんともないけど、表を歩くと頭がクラクラします。首の凝りかなあ??

 

 

 

ネットの世界はFacebookなどを覗けば匿名性が高いですが、その匿名性の高さゆえにちょっとした本音が書きやすいというのもあるのかな?とは思います。

 

私はどうも、その類の本音に引っかかってしまう、というか、目ざとく気がついてしまう人間らしいです (ーー;) 特に「弱音」と感じられる方の…。それこそ希死念慮の類ですね。仮にそれが本当に通りすがりに見つけたものであっても、全然知らない人の言葉であっても、見つけてしまったら最後、やっぱりどうしても気になってしまいます。

 

希死念慮はどれくらいの緊急性があるかによって違ってきますが、その人のプロフィールや住所などがある程度特定可能な場合ですと、公的機関…と言っても警察は事件が起きないと動いてくれないので、主にその人の地元の役所や福祉の関係の機関にお願いするしかなかったりします。ある程度深刻かも、という場合ですが。

 

全然とおりすがりの人間がコメントを入れても効果があるかどうかわかりませんし、むしろ逆効果になったりすると最悪なので、そのあたりに匿名性の限界があります。

 

 

 

SNSなどでも匿名で、介護などの相談内容は結構深刻なのに、途中でぷっつり書き込みが途絶えたりすると、こっちもかなり心配になるんですが、それ以上はどうしようもない、というのが匿名の限界です。リアルの友人知人なら、もっと具体的な手段も協力も可能なのに…と悔しい思いをします。

 

匿名のままで、ぷっつりとアカウント消去されてしまうと、その後は大丈夫かと本当にいつまでも心のどこかに心配が残ってしまいます。

 

 

 

私自身がメールやコメントなどで、よく励ましていただいているので、ネットを介してでも、誰かの眼に触れるということは、ちゃんとそれが受け止めてもらえていて、誰かの心に届いて、そこから力を送っていただいていることなんだと実感します。だからひとぼっちで孤独だからと嘆かないで欲しいと思うのです。読者はきちんと心を受け止めてくださっていますから…。

 

具体的なコメントでなくても、ひそかに応援してくれている人だってちゃんと存在するから。

 

少なくとも私はそういう記事に出会ったら応援しているから。そして私と同様に応援してくれる人も少なからずいるから。世界中が敵なわけではまったくないから。それだけは忘れないで欲しいなあ、と願っています。

 

 

 

具体的に誰とは書けませんが、いままでに何人かそういう風に孤独に立ち尽くしている人に出会ったし、見かけたから…。ひそかな応援、必ずあるから、自分の底力を信じて欲しいと思います。

 

 

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