予約投稿しておきます。
昨日はせっかく休んだのに、肩と首の凝りがひどくて、全然お絵描きが出来ませんでした (ーー;) 下書きは出来ているんだけど、Illstratorを立ち上げる気力がなくて…。やっぱり疲れているんだろうと思います (ーー;) まだ早いんだけど…。
例年なら10月は年賀用の作品を考えて描いているんですが、今年は全然それどころではありませんよね… (*-д-)-з
YuKiさんの「いつも空が見えるから」で紹介されていた本の1冊、イマジナリー・フレンドについて言及されているというので、この本を読みました。
「解離性障害ーうしろに誰かいる」
一般には別人格が出現して、それに悩まされている方のパターンがポピュラーかな?とも思いましたが、実情はもっと複雑なようです。解離というのはいろいろな病気がもとで出現する症状のようですね。「いま、ここにいる自分」という感覚を持ちづらい病気のようにも思いました。
子供の頃に現実から一時逃れて、自分を守ろうとする時に別人格と共に解離が生じるのがよくあるケースかな?と思っていました。
一見霊体験のようなことや、明晰夢なども取り上げられていて、多彩なケースがあるんですが、「うしろに誰かいる」というような感覚とか、起きる寸前の霊体験のような現象や、自分の姿を離れて見る現象とか(夢の 中でもこれはあるらしいです)、そういうことを私は本当にひとつも経験したことがないなあ… (ーー;)
10代の終わり頃の短い期間に、肉体と魂が離れているような感じになったことはありますが、その時も身体に伴う感覚の方が全部失せたわけではなくて、それなりに感じてはいましたので、感覚の主体が入れ替わることって本当に夢の中限定みたいでした。
あと、精神を肉体から解離させて自分を守らないといけないような原因、虐待とかいじめとか、ネグレクトとか(これも虐待の一種ですが)、そういう原因がまったく見当たらないのも本当ですね。
だから私の場合のイマジナリー・フレンドというのは、そういう病的な解離とは違うもののように思えます。
私の精神や意識はいかなる時にでも身体としっかり結びついていて、離れるものではないみたいです (^_^;) 夢の中でも方角をしっかりと意識しているようなものかしら? (^_^;) 磁石とマップが頭の中に存在するから迷いようがないんですね。どんなに悩んでも精神も意識も迷子にはならないんだなあ…。
「うしろに誰かいる」感じもスリリングで悪くないと思いますが、実際にはそれはないんですね。人間だから気配くらいは感じますけどね (^_^;)
結局、私のイマジナリー・フレンドは解離とは別種のもので、でもしっかりと存在しているから、私には必要不可欠なもののように思います。
でも実際に精神科を受診する人は当人やまわりの人が、悩んでいて受診に至るケースがほとんどだと思うので、私と同じように感じている人でも「病気」じゃなくて、本人も悩んでいなくて、でもこういうことはあるんだよ、ってことも案外存在するんじゃないかなあ、と思います (^_^;)
小説などでもシリーズ物を書いているうちに、その舞台になった世界が現実味を帯びて存在して、そこのキャラクターたちもスポットライトを浴びなくても生活している世界。意識して作らなくてもいつのまにか自然に出来てしまった世界、あるよね。
古今東西、そういう派生した世界の中から、あらゆる物語は生まれて、あらゆる絵画作品も漫画も音楽も生まれてくるのではないかなあ、と私は思っています。
少なくとも、自分の中のそういう世界と無意識にコンタクトが取れないと私の場合はなにも描けません。作品を通さないと他の人には眼に見えないけど、でも確かにそれはあるんだよ。自分の頭の中に異次元を持っているような感じで、これは大変楽しいです (^_^;) 誰にも奪われない宝物のような… (^_^)