『「まともに働く」って? - ある精神障害者差別の論理』
faceブックでも取り上げた、みわよしこさんのこの記事。
『「まともに働く」って? - ある精神障害者差別の論理』
少し前にツイッターでも気になっていたので改めて…。
非難が多かったのか、この女医さんのブログ記事は現在では削除されているそうです。が、みわさんの引用で大方の内容は知ることが出来ますね。本当に医師という職業の人が書いたんだろうか?とすごく疑問に思いました。お医者さんになる人はすべての科の勉強をされている筈です。
看護師さんだって、いろいろな科で働いて、実際に精神科で働いた経験がある看護師さんは理解が深いと思います。(そういう人を知っているから)でも経験がない、普通の病院の看護師さんなどは、たとえばアルコール依存の患者などには冷たい対応をされたりします。いろいろ誤解や理解が及ばないところもあるんだろうな、と推測出来ます。
でもなあ…。お医者さんがそれでは駄目だよね。小児科の先生ということですが、自分の患者さんが将来精神疾患にかからないという保障はありません。その時に冷たく見放したら「なんだこれ?」ということにしかならないよ。
地域でもそれを率先してやっていたら、かえって住民に悪影響を与えかねません。ヘイト助長するという…。だって一応、職業的に信用される立場なんだもん。「あの先生が言うから間違いないんだわ」という誤解の源になります。
昔から、こういう類いの差別は少なからず存在したようです。入院が可能な精神科の病院がほとんど不便な郊外にあるのも似たような理由じゃないかなあ?と想像。
浦河の「べてるの家」はゆっくりと時間をかけて、地域住民と交流し、お互いさまの和を築いていかれた希有なケースかもしれません。
でも本当はどこもすべてがそうあるべきなんだよね。しばらく前に話題になっていた、精神病院の内部に患者の生活の場を作ろうというのはなんの解決にもなりませんしね。「べてるの家」のような障害者の生活の場所が各地に出来ないと駄目なんだなあ。
あらゆる差別はその相手やものごとを知らないこと、理解しないことから生まれるのだと思います。誰もが精神疾患にかかる可能性がある時代だから、そのときを想定して考えることはとても大事ですね。
すべての基本です。
…そういうわけで日本医師会がどういうふうに処断されるか、興味深いことでもありますが…。