クールジャパンの底力
昨日ついうっかりとお湯を吹きこぼしてしまって、現在ガスコンロの乾燥待ちをしていて使えません。冬場は少しでも暖かいものが欲しいので、待ちきれない感じです。こんなに時間がかかるとは… (ーー;) 仕方がないので電気ポットの設定を98度にして、カップ麺を作ったりやかんの麦茶を入れたりしています。でも電気が勿体ない感が半端じゃないですね〜 (ーー;)
今日の母はわりと穏やかです。昨夜はラフがひと通り形になりましたが、もうちょっと時間を置いてから修正したいなあ、と考えております。
いままでご紹介する暇がなかった本。
ニューヨークのあまり豊かではない(どちらかといえば貧困層)の子供たちが通うハイスクールで行われたコミック、要するに日本の漫画を基本にしたクラブ活動の記録、とでもいうのかな。
この高校に通う生徒の大半はラテンアメリカ系、アフリカ系、アジア系の子供たちです。家に帰っても満足に勉強ができる環境ではない子もたくさんいます。
でも彼らは日本の漫画作品を愛して共感していました。
そこで放課後の活動として(日本ですとクラブ活動に相当するかもしれませんが、私はもっと重要な活動である印象を受けました)読むことよりも一歩進んだ「生徒達に漫画を描かせる」という試みがなされていきます。
もともと漫画を愛する生徒達ですから、時には役割分担をして合作の形で、あるいは個人的に積極的に個性溢れる作品を仕上げていきます。
漫画を描く過程で、より正しく伝えるための言葉の意味や、作品背景の裏付けなど、授業ではまったく熱心ではなかった事柄が意欲的に学ばれていきます。(そして当然それらに関する成績もよくなる次第)
合作するのに必要な協調性や、着色に使うPhotoshopの技術(これがいかにも現代だな。いきなりPhotoshopだからなあ)などなど、重要なものがどんどん伸ばされていきます。
さらに創作の基本がそうであるように、自己を静かに見つめることや、社会に対する洞察や、内なる部分への成長が大きかったようです。
「クールジャパンの底力」と言われています。
コミケに来たい、と希望を述べる生徒達も多かったようで、国境も世代も越えた友人になれそうな気がしました (^_^;)
クールジャパンの力は文化であり、共感であり、友愛と愛国でもあります。ここでいう愛国は自分が心の中に大切に築いた創造の国への愛と誇りです。自分の中のそれを大切に出来る人は、他人のそれも尊重することが出来るのです。
そこに争いや諍いなどが介入する余地はほとんどありません。みんなして共通の「漫画」という文化を愛してるからです。
卒業した生徒達がその後どういう人生を歩むのかはわかりません。それでも漫画というものが個々の勇気と希望の灯を灯し続ける底力になって欲しい、と私は切に願っています。