お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

個性なのか?障害なのか?

相変わらず虚無感から解放されないこともあって、何事にも気力が続かず、お絵描きもはかどらない日が続いております。あんまり長い文章を書くのも無理っぽい気がしますが…。

  でも今日は生憎の雨ですね。いまどきの振袖はパールトーン加工で雨も弾けるのかな?いずれにしても晴れ着には気の毒な成人式になりました (ーー;)

私は成人式には出席しておりません。今はどうか知りませんが、私の時は人数が多かったこともあって、ハガキで申し込まないといけなかったと記憶しています。これは京都市の成人式でしたが、もっと規模の小さい地元の成人式があったのかどうかはわかりません。もとより出席するつもりがなかったからなあ… (ーー;)

従って、人生の中で振袖を着た経験は一度もありません。親に「作るか?」と聞かれても「いらん」と言ったので…。

自分の体型が相当のいかり肩で、浴衣を着れば「着物が似合わない体型」だというのは一目瞭然でしたから。これではいけない。私の中の美意識が許さない、ということになったんですね (ーー;)

着物は好きですし、着たくないわけではないのですが、それよりも自分の頭の中にある「着物が似合う体型」と自分の体型とのギャップが大きすぎて、そちらの方が重かったんです。屈折してる???

着る着ないよりも、むしろ友禅を描く人になりたかったけど、諸事情でそれも無理でしたし…。でも現在あらゆる時代の着物を「描く」ということで要求は十二分に満たされております (^_^;)

べてるの家関連の当事者研究など見ていると、幼いころからまわりの世界に対して馴染めない違和感を感じていた人が少なからず存在することにハッとします。

どうしておなじことをやらなくちゃいけないの?

自分にはすごく辛いのに、それでもやらなきゃいけないのはなぜ?

そもそもどうしてみんながみんな同じようにやらなきゃいけないの?

私もこれ、複数の同じ年の子供に囲まれた幼稚園時代からずっと感じていました。2〜3人の少人数の遊びなら問題ないのですが、クラス全体のお遊戯とかすごく嫌でした。今から思えばああいうことも一種の発達障害に近いものだったのかもしれませんが…。

…その後もこの類いの違和感は今に至るまでずっと続いています。

でも子供でも小学生ともなれば、「ふりをする」振る舞いが出来るようになります。クラスの子達と仲良くするふりをして、実際によく遊んでいたのはやはり3〜4人の子が限定でしたけど…。そこそこの成績を取っておいて、目立たぬようにしておえば、取りあえず大人にはうるさく言われないし、まあ、なんとかなる、という感じで。

でもこれって目立たないメンタルなストレスが相当たまったようで、とうとう高2の秋に肉体的には膵臓を悪くする形で、メンタルの方では初めてのパニック発作という形で噴き出しました。

(もっとも子供の頃の自家中毒とか思春期の片頭痛も無関係ではないと思うけど)

この類いの生きづらさのようなものはいまだにずっと続いています。こういう存在そのものがやはり病的ななにかの象徴なのでは?と考えてしまうのも無理からぬかもしれません。とりわけ鬱の時期には… (ーー;)

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