昨夜はあまり冷えないと思っていたら、今日は日照り雨です。変なお天気ですね。
昨日の地震はいわゆる「異常震域」の地震だったということで、なおかつ微妙な位置にある震源なので、いろいろと気掛かりではありますが… (ーー;) こういうことは人間の力ではどうしようもないからなあ…。
単に「龍」という存在にしても、世界的にはいろいろな見方が存在するらしいので、象徴として判断するのも難しそうですね。
古来からの日本的なイメージですと、龍はあくまでも自然神のひとつであって、主に水に関わる事象を司るものですし、私個人のイメージもその範疇を出ませんが、世界的には東洋的な龍はあまりいいイメージだとは思われていないみたいですね。大元は中国の伝説の生物だからだからだと思いますが…。
どうも私にはなかなかその感覚がピンとこなかったりします (ーー;) いつのまにか「古来よりの自然神」のイメージが基本になっているからのようです。
古来からの日本の「カミ」は自然の象徴でもありますので、必ずしも「善神」とは限りませんね。時としては人間にも仇をなす、祟りをもたらす「悪神」にもなりうるのですよね。
ですので、祟らないように祀る、というのが現在の神道にもごくわずかに伝わっているのかもしれませんが。
でもなあ…。こういう素朴な畏怖の対象も、このごろでは人々のおごりによって、忘れられようとしています。畏れを忘れた民人にカミが怒りをおぼえても不思議ではないような気もしてきます。
地震や洪水や台風やその他多くの自然災害が「カミの怒り」だという畏怖の気持ちを忘れてしまったから、今のようにおかしな天変地異もありうるのかもしれませんね。新たな地球との共存の方法と可能性を求められているような気がします。
太古よりもやや時代が下がりますと、当時の朝廷に対して、不都合な人物が謀略やその他の権力争いなどで不慮の死をとげた時、その人物も「祟る」から「カミとして祀って祟りを収める」などという、思いようではかなり身勝手な意志で「カミ」として祀られる経緯も多くなりましたが。
それ以前は本当に、もっとずっと素朴な畏怖の対象であったと思われます。
そういう気持ちを忘れてはいけないんだろうな、と思うんですよね。
いくら文明が発展しても。世の中が便利になっても「人の力では御せないものがある」ということの畏れを忘れては駄目だなあ…。原発の事故すらも、どこかにそういう意味を含んでいるように思えてなりません。
自然が人の力でどうこう出来るものならば、そもそも「カミ」すら必要ではなかったかもしれませんし…。驕り昂ぶるな、と地球から強いメッセージとして、いろいろな事象が示されているのかも、と思います。
まあ、昨日の龍の写真はスペースシャトルの芸術だったということで、ちょっと一安心しましたけどね〜 (^_^;)