いいお天気です。投票日和です。日本でももっと国民投票が出来るようになるといいのになあ、とか思いつつ、投票と買い物にも行ってきました。自民も民主もこりごりなので、少数派の意見をきちんと尊重してくれそうな人に投票しました。
夜明け前から昨夜はずした敷きパッドなどを洗濯機に放り込んでおきました。(前のはタイマーが壊れてて不可能だったし)季節の変わり目は大きなものの洗濯が多いから、3キロの洗濯機ではやっぱりちょっと不便ですが…。まあね、2槽式だとほとんど手動で出来るので、手間さえ惜しまなければエコも時間短縮も可能なんですが…(^^;)嶺
母がすっかり寒がりになってまして、温度に対する個人的な感覚も違いますし、これも不便といえば不便ですが…。夏になればそういう時のために扇風機や団扇があるんだろうな、と思ったりも…(^^;)怜
昔むかしの40~50年くらい前には、家の中にあった電化製品はごくわずかなものでしたね。
第一号の我が家の洗濯機は祖父と父の手作りでした。2本のローラーに洗濯物を挟んで絞るというシンプルな形式のものです。当時、電気蓄音機と呼ばれていたステレオも父が作ったらしいです。で、私が生まれてやっと扇風機を購入したんだとか。
冷暖房も冬は火鉢とか豆炭こたつとかが主役の時代でした。氷を入れて冷す冷蔵庫の原形も祖父が作りました。
それでも夏の夕暮れは表に床几というのを出して、団扇片手に大人はそれに座って将棋や囲碁をしたり、女性はもっぱらおしゃべりを楽しんだり、子供たちは花火をしたりして、モノはなくても、それでも心は豊かで非常に楽しかった記憶があります。
家の前の道路も舗装されていませんでしたが、それだけに水を撒けば涼しい風が吹きました。鍊
いまでも京都の町屋では結構自然を利用した「夏を涼しく過ごす方法」が残っていますが、現代の住宅ではあれは無理かもしれませんね。怜
いやー…。もう半世紀も生きていると「失ってしまった大切なもの」と「この先にも残したい大切なもの」がいろいろ見えてくるなあ、と、ちょっとしみじみしてしまいました(^^;)嶺
3,4日前に見た夢で、父が非常に嬉しそうな顔をしていました。もともとエンジニアだし、飛行機だの自動車だのが好きな人でしたが、1台の車の前でにこにこしながら「ここで写真を撮ってくれ」と言うんですよね。
その自動車というのが、デザインはさほどスマートなものとは言えないようでしたが、白い車で、前のボンネットからルーフ、後ろまでずっと樹木の緑の葉っぱが流れるように描かれたものでした。父にしては意外なものが気に入ってるなあ、と思いつつ、夢の中で写真を撮ったんですが…。
あとでふと思うと、あの自動車はバイオ燃料で走るものだったのかもしれません。私に言葉で説明してもわかんない、と思って、画像として見せてくれるあたり…(^^;) その象徴が緑の葉っぱだったのかなあ、と思ったりも…。いずれにしても父がとても嬉しそうな顔をしていたのが印象的でした。漣
しごく個人的なことですが、いままでにご縁があって、出会ってきた人たちとのそれぞれの出会いには非常に重要な意味があったのかもしれないなあ、と不思議に思います。劣
そういう成り行きの中のどの程度を別の次元から示唆してくれているのかわかりませんが、いずれにしても最近ますます肉体を超えた次元との距離の近さをしみじみと感じている私です。撚