お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

確かに崖っぷち(ーー;)

綾 昨夜、父がまた熱を出しました。嶺 午後には看護師さんに非常にしっかりと吸引をしてもらって、血中の酸素濃度もかなり上がったはずなのに、夜になるとまた喉の奥だか、気管支だかそのあたりでゴロゴロ言ってるんですよね。母と二人でかなり悩みました。氷枕をして、おでこに冷えピタを貼って、解熱剤を飲ませて…。でも呼吸がかなり苦しそうで、このままだと父も我々も眠れない、と思いまして…。怜

でもしつこく吸引を続けていたところ、上手いタイミングでくしゃみが出まして。鍊 それも数回。元気な時から父はよく連続くしゃみをしてまして、それによって自律神経の不調が改善されるという、非常にありがたいくしゃみだったりするんですね。そのくしゃみのおかげで気管支の奥にあった痰も綺麗に取れて、やっと一安心した次第です(^^;)嶺

くしゃみのおかげで、熱も下がるし、血圧も下がるという効果もありますし…。劣

 でも今朝起きてみたらまだ微熱があって、かかりつけの先生に電話で相談したところ、午後に看護師さんが来られる時に、抗生剤と解熱剤を持ってきてもらえることになりました。

ところで、このところの私、非常に具合がよろしくなくて、更年期障害の時期にもろにぶつかっていることもありますが、全然思うように動けないし、気力のみではフォロー出来なこともままありまして、本当はもっともっと頑張って世話してあげたいのに…という気持ちに反して、身体が動かない辛さが悔しくて、実は今朝は泣いていたりしたのでした。輦

たまたま毎日新聞で読んだ篠田節子さんの記事がものすごく身に染みました。こういうことを書いてくれる人があって嬉しかったんですね。長いけれど転載させていただきます。

もと記事はこちらです。

男子禁制!!ロッカールーム:第14回 

「崖っぷちの妻たち娘たち=篠田節子

 「逆縁」と言っても若い方にはわからないかもしれないが、親より先に逝くことで、何も事故や自殺とは限らない。最近、この言葉を聞いたのは、十あまり年上の知人から、親より先に、介護している娘が亡くなるケースが身辺に多い、という話が出たときだった。

 「癌(がん)が多いの。きっとストレスね。逆縁こそ最大の親不孝なのに」

 癌だけではないし、親の生きているうちに亡くなるとも限らない。娘でなく嫁であることも多い。以前、ステロイドの副作用でまん丸になった顔で、お義父(とう)さんの訪問看護日程をチェックしていた友人がいた。自身の体は二の次、三の次。健康診断どころか、治療に通う余裕もない。

 「一人で抱え込まないで」というのは、個々の家庭の事情と被介護者の性格等を考えると「いじめはやめよう」と同様、およそ実効性のないスローガンだ。一人で抱えこまず、ショートステイや、ヘルパーさん、訪問看護複数のサポートがあるにせよ、想像を絶する負荷が、「主にケアしている人」の肩にかかってくる。

 亡くなるまでの半年なら、その負担こそが情愛と悲嘆、感謝と惜別の感情の交錯する、死さえ越える絆(きずな)に結実するかもしれない。

 1年であれば、見送った後に、悲しい充実感と、わずかな安堵(あんど)感を味わうかもしれない。2年なら満足感と達成感、少しばかりの虚脱感か。そして3年なら? 7年、8年……15年、20年を越えるケースさえある。10年介護など珍しくもない。

 卒中で倒れたら、氷嚢(ひょうのう)を乗せて数日後の死を待つしかできなかった時代、寝たきりの年寄りの枕元におにぎりを置いて、家族全員、田畑に出払い、2、3カ月後にはあの世行き、といった時代のことを、施設介護から家庭介護へと、政策をシフトさせてきた方々は想定していたのだろうか。

 介護をやり遂げた家族の感動的な手記は山ほど出回り、体験者のプライドを込めた語りと前向きなアドバイスも頻繁に耳にする。しかし完遂した後に、身体的故障や持病を抱えて余生を過ごさなければならなくなる主婦の方が多すぎる。婚期を逸し職を失い、経済的不安を抱える中高年の娘が多すぎる。因果関係は不明だが、子供の不登校摂食障害といった問題を抱える家庭もある。

 「おばあちゃまだけで手一杯なのに、なぜ娘までが」と泣いていたお母さんにも出会った。

 どんな行政的サポートがあったところで、限界を超えた長期間介護や、素人にとって正視に耐えない凄惨(せいさん)な症状を呈する患者の看護は、終わった後にボディブローのように介護者の心と身体を蝕(むしば)んでいく。

 それだけではない。症状の安定した後の、あるいは加齢に伴う筋力低下を防ぐための、運動療法や理学療法を受ける人は、体力気力が充実した、意欲あふれる中高年ではない。病み上がりであったり、痛みがあったりして気分が萎(な)え、「いまさら努力など嫌だ。家族に温かく守られ、大切にされ、日向(ひなた)の匂(にお)いのする清潔な蒲団(ふとん)の中で、余生をのんびり過ごしたい」という心境の年寄りを、どうやって家族が機能回復施設に引っ張っていけるだろう。ましてやどうやって家庭で訓練などさせられるだろう。家で介護者の首にぶら下がってベッドから起き上がっていた老人が、施設に入って数カ月後、機能訓練士さんたちの励ましの中、歩いて手洗いに行ったという話を聞いた。高齢化もまさに崖(がけ)っぷちの状態で、施設介護の可能性を再考すべき時期に来ているのではないか。(作家)=次回は24日に掲載

愛情だけでは完遂出来ない厳しさがあるんですね。ものすごく身につまされます。輦

本当に安心して預けられる施設なんてありませんし…。

もしかしたら親より先に逝くかもしれない、というしんどさは全然他人事ではなかったりするのでした。蓮

Copyright (C) 2001-2018,Haruusagi All rights reserved.