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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

看取りと尊厳死

数日はかかるかも、と思っていたイラストが完成しました。今日は比較的、父がよく眠ってくれていたおかげです(笑)秊私の創作のペースは父がどれだけ静かに寝ていてくれるかにかかっているのですね。で、まあサイトの方も更新出来ました。廬そろそろキリ番の作品のことも考えないと…と思いつつ、やはり描きやすい馴染みのキャラクターに走ってしまいますね(汗)嶺

父は昨日はずーっと起きていて、家族も苦労しましたが、今日はリハビリの先生が来てくれても寝たままで…(汗)嶺当面のリハビリの目標としては「自分で立って、ポータブルトイレに行けること」だったりします。左手はもう動かないみたいですね。仕方がないですが。

今年の桜はかかりつけの病院に薬をもらいに行って、そこの庭で見ました。いつのまにかほどよく咲いていました。まあ、それでよしとしましょうか。お絵描きさえ出来ればかなり満足な私だったりして…。秊

Web拍手ありがとうございます。 >シオンさん、肝心のマウスパッドはまだ時間がかかるみたいです(汗)すみませんが、しばらくお待ちくださいませね(汗)

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父方の祖父は私が子供の頃に亡くなりました。末期の直腸ガンが発見された時はすでに手後れの状態でした。なので入院はせずに、家で看護することになりました。かかりつけの先生が往診に来てくれて、寝付いたのは半年くらいだったかな。家で亡くなりました。40年も昔のことですし、当時の医療技術を考えても、今ほどの延命治療も不可能だったのかもしれません。痛みを取るだけの処置ですね。でも畳の上で死ねたことはよかったんじゃないかと思います。家族全員が見守っていましたし。

祖母の時は死ぬまでの3、4年間は老人のための病院に入院していました。当時は父も私も弟も働いていて、母はちょうど更年期の時期でしごく体調が悪く、とても家庭で介護出来る状況ではなかったんですね。

でも母は具合が悪いと言いつつも、まめに病院に通っていましたので、本当に祖母の死期が近付いた時には、祖母は看護婦さんではなくて、もっぱら母を頼りにしていました。最期の時は家族全員で病院で見送りました。それも苦しむことのない穏やかな死でした。

父はこのごろ遺言のことを口にします。本当ならば自分で文書で書きたいようですが、文字を書くのは無理なので、口頭で残しておく、と言います。もっともたいした財産もなにもないから、自分の愛用の腕時計を甥っ子にやってくれ、とか、その程度のことですが(笑)

愛着が深い家族とはこうして大変な思いをしながら看護して、充分なことが出来た、と納得出来た時点で、病人も家族の方も静かに死を受け入れて行く心の準備が出来ていくのかなあ、と思います。いつの時代になっても家族がいれば家族に囲まれて死ねたらきっと一番幸せですよね。

よく安楽死の問題とか世間ではありますが、あれはどうなのかなあ…。いまほどの医学が進んだ時代ゆえの葛藤ですよね。

もう意識が万一にでも戻る可能性がなくて、機械によってただ人工的に生かされている状態を果たして「生きている」と言えるのか、かなり疑問に思います。そうなってしまったら身体はただの「抜け殻」じゃないかなあ、と。

もちろん本人の意志が一番に尊重されることが必要ですし、どんなに日頃は元気な人でも、突然の事故やなにかでそうなった場合のことを考えて、自分はどうして欲しいか伝えておきたいですよね。

ちなみにうちの家族は「尊厳死」を望んでいます。痛みは取って欲しい。けれども無駄な延命治療はやめて欲しい。親の意志は確認出来ているからいいのですが、自分達の場合、こういうのって誰に言っておけばいいんでしょうか。やはり尊厳死協会ってそういう時のために必要なのかもしれませんね。

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