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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

見えない大切なもの

まだまだ結構暑いなあ。なかなか扇風機が片付けられない。お絵描きと雑用であっというまに半日経過。それでも作品は一応完成したし、これから更新作業にとりかかるつもり。このところ描くのに忙しくてプリントアウトする暇がない。7枚くらい貯まってしまった。それも一旦プリントして、あとは事務作業もあるし…。今週はそれなりに潰れそうな気がする。

あ、そういえば年賀はがきの枚数確認もしないとなあ。例年ならば10月には年賀状用のイラストを描いていたりするし…。でも今年は暑いからなかなかその気になれない。

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昨夜は民放でちょっと珍しい真面目なテーマの番組をやっていた。現代の民俗学というか、霊魂と死後の世界について考えるという内容のもの。(番組タイトルは忘れました(汗))日本人の宗教感などにも触れたもので、面白かったなあ。

絶対善の神の存在の下に立つ人間、という形の一神教と神も間違うこともあれば祟ることもある、として、神も自然も人間も同じならびに存在するという日本人の意識と。

特定の信仰を持たなくても、まわりに存在する神のことはなんとなく身近に感じている日本人。粗末に扱えば祟る神も、きちんともてなしをすれば守護の存在に変わる。

しごく曖昧なものを大切にする感覚が「和」の心を育て、人間関係の潤滑油にもなっている。争いを好まない民族性。たとえば災害に逢った時などに、略奪が起きるわけでもなく、思いやりの心に満ちた日本人の感覚って、私はすごく好きだ。いつまでも大切にしたい民族性だったりする。

ちなみに死後の世界や霊魂の存在について、いまだ科学の分野では解明されていない。けれども科学では「ない」という証明が出来ないそうだ。

きわめて発達した脳を持ったゆえに、人間だけが「死」を知ってしまった。未来指向にまで及ぶゆえに生物は必ず死ぬということを知ってしまい、限りない不安に襲われる。

霊魂や死後の世界について考えざるを得ないのは、発達した脳を持ってしまった人間の宿命なんだとか。

そしてまた、眼には見えないそういうものの存在に安心感を抱くのも人間のみ。それをまったく否定してしまうのはいかがなものか、と思うな。

愛情や夢や希望や思いやりや…人間が生きていくために必要不可欠で一番大切なものが眼には見えないように、霊魂や死後の世界は存在していると考える方が自然なことのような気がする。

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