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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

生きてるってなんだろう

集中したあとの反動で今日もなにも手につかなくてぼーっとしています。困った奴だと自分でも思うのですが、これも性分だしね(汗)ただ一応次のリクエストはいただいたので、今度はそちらにとりかかろうかなあ、というところです。まあ、お裁縫モードにはすぐになれそうもないからいいや。

今日は午後からサッカーのオールスター戦。実は昨夜のラトビア戦はツネさんが出ていなかったので、ほとんど見てませんでした。そうしたらやっぱりいまいちだったみたいだね。やはり海外組だけでも万全じゃないんだよね。バランスがいいチームになるにはなにが必要かって再認識するゲームだったのでは。

Web拍手ありがとうございます。

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昨日はパキスタンで大地震がありましたけど、さらに個人的にびっくりしたニュースは特養老人ホームに入院していた女性が猫に足の指を齧られてなくした、というニュースでした。

猫がそんなものを齧るのか(もしかして食べたの?(汗))ということもびっくりですが、5本の指がなくなるまで、その齧られた人ってなにも感じていなかったんだろうか、ということですね。新聞記事では同室の人がナースコールして気がついたそうですが。

猫だって5本一度に齧れるわけがないから、時間がかかったと思うのですが、そのあいだに本人は助けを呼ぶとか、悲鳴を上げるとか、そういうことはしなかったのかなあ、と。素朴な疑問を持ってしまいました。認知症だってことだけど、それが進むとそういう感覚とか判断とかが出来なくなるのでしょうか?だとするとすごく怖いなあ、と思ってしまいました。

うちの家系はどうもあまり認知症には縁が薄いような気がします。記憶にある限りの両方の曾祖父母も認知症ではなかったし、あの病気の本当のところがわからないから余計に不安です。

自分の身の危険とか痛みとかがわからないのに、ただ息をしているだけだったりしたら、それって本当に「生きてる」ってことになるのかなあ、とか考えてしまって。

私は嫌だなあ。きっと自分が自分である感覚もなくしてしまうなら、もはや生きてる意義もないし、さっさと自らケリをつけそうな気がするなあ。「最期まで元気でいたい」ということは「最期まで自分らしくありたい」というのと同義のような気がします。

こういうことを言い出したら、きっと尊厳死とかの問題のも及ぶんだろうけどね。私はきっと死ぬことそのものよりも、生きながら「自分でなくなる」ことの方が怖いみたいです。

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