お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

介護につきまとう後悔を少しでも小さくするために…

 

本当に大変なことは家の中でお金に換算されない


朝からゴミ出しの用意をして、ご飯を作るだけで2時間近く費やしてしまった。不毛。
家事と言うのは誰かがやるのが当たり前のようではあるけれど、しんどい時は本当にやりたくないことを無理やりやらないといけないから相当な苦行です (ーー;)

 

しかもその地味な作業はよそのお宅でヘルパーさんの仕事でもしないかぎり、収入にもならず、評価もされず、こんなにつまんない仕事ってないよなあ… (*-д-)-з

 

自分がその立場になって改めて主婦のすごさを痛感する次第です。いまどきそういう人も少ないと思いますが、夫に「俺が食わせてやってるのになんだ」とか言われたら家事ストライキでも家出でもやればいいと思うわ。ホントにね。

 

介護でもそうです。プロにお願いすればそれなりの費用がかかるけど、家族がやれば無料だけど…。得るものも大きいけど、失うものも結構大きいです。

 

 

 

昨日の母はわりと元気でした

 

 

昨日、母のところに行ってきました。

 

いつも母が私に向って「はよ帰り」というのは「家が心配やから」ということだとやっと判明しました。いままでその前置きを言ってくれないから悩んでたよ。

 

「うちにはたかひさくん(弟)がいてるから心配せんでもええよ」家が気になるあたりはやっぱり「主婦だから」なのかなあ、と思いました。

 

「ご飯作るのは嫌いやから週に3、4回しか出来んけど、ヘルパーさんが掃除も手伝ってくれはるからなんとかやってるよ」
こういう場合、安心させるのと、ちょっとだけ心配なのとどちらが気分的な張り合いになるのかな?とちょっと考えています (^_^;)

 

先週は涙ぐんでたけど、昨日は「元気にしてる?」といいと「元気」と言ったので、比較的マシな気分だったようです。私も母の様子に一喜一憂してるけど、気分障害で多くを話してくれないと、いまいちわかりづらいこともあってね…。

 

本当は弟も連れて行きたいけど、いまだに「行く」と言ってくれません。どういう恨みがあるのかわかりませんが、このまま生きているあいだに逢えずに後悔しないかと思う… (ーー;) 弟は別にACでもないと思うんだけど。おそらく私もそうじゃないと思うけど…。まあ、なかなか理解し難いものがありますね… (*-д-)-з

 

 

 

壁に彩りが欲しいと思う


それで昨日気がつきましたが、リクライニングして食事のあいだは見えるのが白い壁なんですね。横の壁には私の絵があるけど、目の前の壁がちょっと寂しい…。壁を傷つけずに彩りを添えると言ったら、本当は華やかなアートフラワーとかもいいなあ、と思うけど、無難なところでウォールステッカーかなあ…。貼ってはがせるやつ。

 

壁紙がつるんとした平らではないので、粘着力がいくらか強めのやつが必要かなあ、と思いますけど、木々や花や鳥や動物がいるのって楽しいかもしれないなあ、と…。

 

あんまり費用がないので高いものは買えませんが、現在あれこれと物色しています。

 

タクシー代が痛いから、いまのような週1ペースでしか行けないけど、交通費かからなければもうちょっとマメに行きたいところです。私は母の死後に後悔したくないからね。父の時も後悔を残さなかったのは、それだけ精一杯のことをやったからです。それがわかっているので、今回もやっています。

 

在宅と施設とではかなり違いますし、家族として出来ることも範囲内ですし…。でも、助けてもらわないと出来なかった現状はあります。自宅で死なせてあげられたら、ホントにベストだとは思いますが、冷静に考えると無理だから、やっぱり出来る範囲で動くしかないのよね…。

 

在宅だったら、もっと怒りながら接することも多いだろうけど、週1だから、いつも落ち着いて笑って会えるのもありがたいです (^_^)

 

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20170510092612j:plain

 

 

★相変わらず、午後などは微熱状態で起きているのが辛くて横になる時間が増えています。こっちも思えば結構不毛です… (ーー;)

 

 

 

 

本日たぶんお休み致します

 

午前中に母のところへ行くつもりなのと、

あとは眼が痛いのとで、あんまりモニタを見てられないかも、というのが

ありまして…。

 

よほど書きたいことがあれば書くかもしれませんが、まあ、このへんで

お休みするのも悪くないかもしれませんし… (^_^;)

 

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20170509080719j:plain

 

 

 

 

 

一番好きなことは仕事に出来ない私の理由

 

相変わらず、寝込んでいる時間が長いです。なにもはかどらず気ばかり焦りますが、仕方がないですね。

 

行けたら明日は母の所に行きたいと考えていますが…。

 


人生で手に入れたいもの

 

またですか?と言われそうですが、好奇心と「ネタにもなるから」というのでついついやってしまう心理テストの類です。こういうのはわりとよく見かけますけど…。

 

corobuzz.com

 

やってみましたら、私の場合、「じゆう」「きぼう」「やさしさ」でした。

 

特に「自由」というのはなにを何度やっても真っ先にキャッチする言葉です。私にとってはそれだけ大事なのが「自由」なのかもしれません。

 

 

お金よりも自由が大切なライフワーク

 

実は今朝起きた時にふと考えていたので、Twitterでもつぶやいていますが、2年ほど前、一時期(いまでもそうかな)「好きなことを仕事にしよう」というのをあちこちで見かけるようになっていました。

 

まあ、それも悪くないかな、と私も思っていましたけど、いろんなことを試してみて、自分には無理なことが多いなあ、とわかりました。

 

たとえば文章を書く仕事、ライティングですが、クラウドソーシングを見ていると、案件はいろいろあるんですが、なにかのテーマで適当に文章を書く、というのは自分には無理だと悟りました。特に美容とかは自分がまったく関心がない分野だから駄目です。つまらないし。

 

小学校の時に、読書感想文の宿題が大嫌いでした。大抵は課題図書、感動するかしないかは読者によりけりだし、こういうふうに書けば大人にはウケるんだろうな、というのも推測出来たけど、あえてそういうのも書きたくなかったし。

 

いまなら自分が読みたくて読んで感動した本のレビューくらいは書けると思うし、ごくたまに書いてますけど、そういう行動ってどこまでも自発的なものなんですよね。


仮に、「こういう文章をこういう感じで書いて欲しい」と言われても私には無理だと思います。「好きなものを好きなように」ではなくて、「クライアントの希望のように」というのが無理… (ーー;)

 

絵もそうですけど、ブログなんかもお金に無関係で好きなものを好きなように書いているから、ずっと好きでいられて、ずっと続けられるんだと思っています。

 

それくらいのこと、ですが、実はこれが大きなことで、自分が書きたいものを自主的に書く、というのはあくまでも自由な行為なんですね。その分責任もありますが、他者の思惑を入れないで(お金がらみじゃないってそういうことかな?と)「好きなことを好きなように書く」ことほど、私には大きな価値は存在しないのでした。

 

絵も文章も自分が生きることに直結しているものなので、その主導権というか、自由は最後まで死守したいと思っています。

 


仕事にするなら3番目以下だなあ…

 

だから一番と二番目に好きな絵と文章は仕事にすることは出来ません。制約絡みになるとどちらのパワーも死んでしまうから…。

 

だから仕事にして、お客さんからの要望を受け入れることが可能な、妥協もそこそこ出来ることってデザインしかないなあ、と思います。

 

デザインはまだ自分でも勉強途上のような気がしてますし…。新しいことを学ぶのも楽しいし。

 

ものすごい狭い選択肢ですが、まあ、そういうことに気付けただけ、2年程度の試行錯誤も無駄じゃなかったみたいです (^_^;)

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20170508092109j:plain

 

 

 

 

 

 

 

Copyright (C) 2001-2018,Haruusagi All rights reserved.