お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

働けない人間は無価値なのか? 障害者と高齢者と

 

やっと雨も止んだね


昨日は天候のせいか、体調の悪い人が多かったですね。

 

それでも、双極性障害うつ病の人は「体調が悪くて休むこと」に罪悪感を感じてしまう人が多いです。それが症状の一つなのかもしれませんが、さなかにいる当人は症状なのか、もともとの性格で怠け心なのか?とわからなくなってしまって、だから悩むんだと思います。全然怠け心じゃないと思うんですけど。

 

ちゃんと復帰するまでに回復出来たなら、もともと努力家の人ばかりだと思います。いいかげんな性格ならおそらくこういう病気にはならないと思うし…。

 

「働けない=社会に貢献していない」と思われがちなんですよね。本当にそうなのか?と思っていて、この記事に対して私がひっかかったのもそれかな?とふと思いました。

 

 


この世代は本当に若い頃は土日もほとんど関係ないくらいによく頑張った世代です。戦後の経済成長の根幹を支えて築いてきたのだと思います。70歳まで働いたら、もうそれで十分だし、あとは余生で好きなように過ごさせてあげたらいいと思います。幸いにも経済的には大きな問題がなさそうだと推定出来ますし…。

 

刺激が少なく、運動量が少なく、ぼーっとしていたら認知症になる心配があるから余計にこういうこと言われるのかな?それだったら、高齢者はただ認知症にあって介護が必要になっただけで役に立たない迷惑な存在?若い世代からみればそういう役に立たない高齢者にお金を使うのが無駄とか思えるのかな?それって結局自分にも返ってくるんだけどね(ーー;)

 

 

 

精神障害者が親の介護をする実情


私は自分の病気とほとんど重なるようにして両親の介護に向き合うことになりましたが、そこで非常に大きなことを学ぶことが出来ました。肉体的には要介護5ですから、父も母も自分では寝返りもできず、ゆえに褥瘡が出来やすく、悪化しやすい状態でした。母はそれで片足を失いました。

 

結果的に二人とも胃ろうになって、その決定には自分がメインで関わったわけで、いまだにそれぞれの死生観も含めて考えていますが、でも、両親の介護に関わっていなければ、私はあるいは自分の病気にもっとたやすく打ちのめされていたかもしれません。

 

私が介護できなくなれば、たちまち命に関わる状態になるわけですから…。自分のことが二の次になってしまいます。それでも懸命だったけどね。母の特養入所まで、サポートはあったけど、ひとりでやれる私的な限界まではなんとか出来たと思います。

 

自分ではなにひとつ出来なくなっても、両親のことはやはり好きで、尊敬も出来るし、同時に価値がある存在だと思っていました。

 

そして命に関わることをこなせる自分も無価値な人間ではないと思っていましたし、いまでも思っています。まあ、いまだに「上手く休むこと」は下手なままですが…。

 

家事や育児や、介護など、外で働いてお金を稼ぐわけではないことでも、一旦それを家族に対してでなくて、外で職業としてやれば収入源になることはたくさんあります。それを家の中でできているだけでも実はすごくて、ヘルパーさんに頼めばお金がかかることだから(介護中にもヘルパーさんに有償で来ていただいたこともありました)それをこなしているのって、それだけ家族の役に立っているんですよね。

 

だから私は自分が無価値だとは思いませんが、でもお金は必要だから仕事はしたいです(^_^;)

 

 

晩年の選択肢も本人に任せよう


退職後の高齢者が自分でもっと身体を動かしたいとか、そういう風に思って行動できるなら言うことはありませんが、「ゆっくりしたい」と思うのなら本当にゆっくりさせてあげればいいと思います。ボケないために死ぬまでなにかをやっていろというのは、根っこの部分で我々にも「休むことに罪悪感を持つ」原因ともなりかねない共通点がありますね。

 

この投書をした人がどんな人かはわかりませんが、「この先ボケちゃって、その介護を自分がしたくない」というだけでこういう相談されたのかな?とか勘ぐってしまいました。

 

介護が必要になったらやったげたらええやん!…でもこういう心持の娘さんだったら、あんまり介護向きじゃないけどね〜。怖いわ(ーー;)

 

私がいろいろ考えすぎなんでしょうか??いやー、でも世代や立場を越えて考えさせられるものがあるなあ、と思います。

 

いつも夜になるとひとりで読書をしていた父の後ろ姿を思い出すと、いまでも懐かしく涙が流れます。いくつになっても親が背中で教えてくれることってあるんよね…( ; ; )

 

 

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静かに桜の季節は移る フィギュアスケートの花たちありがとう

 

私が唯一関心があるスポーツ、フィギュアスケート


昨夜寝ようとしたら、浅田真央ちゃん引退の速報が飛び込んできたので、珍しくスポーツがらみの話題です (^_^;)

 

浅田真央の歩み:朝日新聞デジタル


お疲れさま。そしてありがとう (^_^)

 


もともと私はあまりスポーツには関心がない人間です。勝敗に興味がないことや、体育の成績が万年1か2の致命的運動神経のなさゆえに、それによって感じる無力感(劣等感ではありません)などが原因かと思われます。

 

ダンスとかは嫌いじゃなかったけど、フィギュアもそれに通じるものがありますね。「見せる華麗さや情感」という点で。

 

昔からフィギュアスケートだけは別でした。これは自分もとにかくリンクの上で滑ることだけは出来たというのもあるかもしれません。

 

昔、駅の近くにスケートリンクがあって、高校からの帰宅の途中で立ちよって、シューズを借りて滑っていたこともあります。まあ楽しかったからね〜 (^_^;)

 

当然、フィギュアの番組も見てました。まだ佐野稔さんや渡部絵美さんの時代です。あの時から比べると、みなさん、随分体型が変わったし、スタイルいいし、いろいろ隔世の感がありますが…。

 

 


見る側の視点も心情も変化する

 


いつしか私は彼らの演技や表情に深い精神性を感じるようになりました。ライバルがいるゆえに生まれる葛藤の数々はもちろんですが、やはり自分自身の弱さやもろもろの弱点をしっかり見つめて克服してこないことには満足出来るものにはならないよね。

 

それに気付くと非常に深いものがありますね。精神性なんていうと武道みたいですが、でもスポーツってもともとそういうものじゃないの?自分は表現の手段として絵とか文章とかを選んだけど、自分の肉体を使って表現する手段とした人たちと、基本は同じだと思いました。

 

勝敗じゃなくて、自分が満足出来る演技が出来たであろう時の表情とか、ものすごいよくわかるもの。で、そういうものに見る人も感動させられるんじゃないかと思います。

 

方法は全然違っても、自分との共通点を見つけて、「ああ、私も頑張ろう。頑張りたい」と勇気や元気をもらったり…。そういうものだと思っています。

 

普通に生きている平凡だと思っている人でも、意外とそういう共感を抱いているのかもしれません。

 

 

実はこれは先日の羽生結弦くんのこの表情を見ていてしみじみ思ったことなんですが…。元気をくれるのはどうしてかな?と考えたら、そういう精神面の共通点に心打たれた次第です。


わざわざ動画のキャプチャー撮って、自分のデスクトップのために作りました (^_^) ↓

 

 

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ーーー年年歳歳花相似 歳歳年年人不同ーーー

 

体力と技術力の上に開く花の季節は短い。
それゆえに瞬間を惜しみ、瞬間を燃やして咲き誇るのだ。

多くの人に忘れ難い記憶を残して…。

 

 

 

 

 

ふと思い出した子供時代に受けた性的虐待(?)のこと

 

自律神経失調症

 

やっと晴れましたが、起きると頭痛。実は昨夜は動悸がひどくて、耳の奥で頻脈かつ動悸、という感じでした。さすがに寝付かれず、胸も苦しいのでひさびさに救心を飲みました。おかげでしばらくするとマシになって眠れましたが…。年に1、2回は救心が必要になるようです。

 

ぼちぼち体温も上昇しつつありますし、やっぱり自律神経だろうな〜 (ーー;)

 


子供の頃の性的虐待(?)について思い出してしまった

 

ちょっと重い話かもしれませんが…ご容赦ください。

 

昨夜、まったく別の検索をしていて、たまたまこういう記事に辿り着き、おりしも引っかかっていた小学生時代の記憶を思い出してしまいました。

 

うん…。ほとんど忘れていることが多いからPTSDにはなっていないと思います。でもたまーに蘇ることはあるかなあ…100%ではありませんが…。

 

 

toyokeizai.net

 

同じ歳の、同じクラスの子たちが相手の場合は「虐待」って言ってもいいのかどうか微妙ですが…。

 

ちょうど10歳頃、小学校の3年か4年だったと思います。

 

べつに普段からいじめられてたとか、そういうことはまったくなかったです。私はわりと男女の区別なく日常的に遊んでいたので、呼びに来た男の子の言葉もまったく疑いもしませんでした。

 

で、校舎の裏に行って見たら、クラスでも大柄な子を中心とした数人のグループの子がいて、そこで捕まってしまったのですね。一人ではどうしようもなかったですし、怖いとかそういうのではなくて、屈辱感が大きくて無性に腹が立ちました。

 

10歳くらいの男の子の知識の範囲ですから、本当にレイプまではいっていませんでしたが、その時に心の中では最も腹立たしく思っていたのは、止めるわけでもなく、知らせるわけでもなく、ただ見ているだけの数人に対してでしたけど… (ーー;)

 

どうやってその場から逃れたのか、その後のことはどうなったのか、ほとんど覚えていません。また「忘れる」という自己防衛が働いたみたいです。

 

親と先生がバタバタしていたことだけは覚えています。具体的なことはわかりませんが、私が怪我をしたわけでもなかったから、表ざたにはしないように働いたんじゃないかと思います。

 

理不尽なのはこういう時に被害者であるはずの私が責められることでした。それも怒ってたなあ。

 

見ているだけの子たちについてはいまではあそこで動いたら自分たちがいじめかなにかにあう危惧があったんじゃないかと思います。振り返ると許せるけど、でもだからこそ、自分は困っている人を見捨てたり見ないふりしたりする人間にはならないでおこうと決意しました。

 

でも、その後もちゃんと学校には行ってたから、忘れるほうがきっとよかったんだと思います。おまけにそのクラスって卒業まで3年間クラス替えなしだったし (ーー;) 

 

でも、他にも理由はあるけど、担任の先生のことは信頼出来なかった。今に至るまでの根強い教師不信がそのころに生まれたと思います。

 


見えない被害はもっと多いかもしれない

 

13歳未満の女の子の15.6%が被害者か…多いよね。

 

私もこの話をしたのは初めてです。いままでほとんど誰にも話したことはないと思いますが、こうやって公に書くとなんだかすごくすっきりするね (^_^;) 

 

別に訴えたいとかそこまで思ってはいないし、ほとんど許してる感じはあります。自分で区切りをつけたかったんだな、きっと。数十年の昔です。

 

男性不信にならなくてよかったと思いますよ〜 (^_^;) なってたら人生の半分損したような感じになるもんね。

 

この話もいまだから「もう公開してもいいや」って思う。

 

いま、すごくこの本が読みたくて、手元にあるんですが、なかなか集中力がなくて悔しいのです。

 

 

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法

 

 

 

うちの親は比較的子供の気持ちに寄り添ってくれる人たちでしたが、やはり性的なことは親子だから話題にしづらいことがあって、その当時に親以外に親密な人がいたらどうだったろうか?とふと思うことがあります。

 

私は忘れもしない11歳の夏に「もう子供じゃない」とはっきり自覚した瞬間があって、それ以降になにかが大きく変わったんだと感じています。くっついてた卵のかけらを振り落としたみたいに。

 

双極性2型障害の希死念慮の時以外には死にたいとは思わないな。もうかなり乗り越えたからいいんじゃないかと思います。でも同窓会名簿から抹消して欲しいと願うほど、学校時代のことは思い出したくないことが多いですが… (ーー;) 

 

 

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