お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

エッセイ漫画っていい手法だけど、今の私には無理だなあ…

 

今の世の中を見ると…

 

このごろAmazonを見てもpixivを見ても、エッセイ漫画が大人気のようです。

 

それこそ介護から精神疾患を初めとする闘病記から、もっと趣味的、文化的な

ジャンルに至るまで…。

 

確かに人目を惹きやすく、普段は興味があまりないジャンルでも

なんとなく読まされる強みがありますね。

 

で、うつの時でも読める気軽さのようなものもあるし…。

まあ、いい方法だと思います。

 

私も好きで、いろいろと楽しんで読んでいますが…。

自分も漫画で描けば、もっと多くの人に読んでもらえる可能性はあるよなあ…、

と実は思います。

 

 

いい手段であるのは確かなんだけど…

 


でも「漫画を描く」という行為は半端じゃないエネルギーを必要とするので、
そこまでの気力がない私には無理じゃないかなあ、と思えます。

 

過去にストーリー漫画を描いてた時でも1作に80ページとかになると

1〜2年は軽ーくかかりました。

 

あ、仕事しながらでしたけど…。

土日もどこにも行かずにひたすら原稿描いてたもんな〜 (ーー;)

 

あの時は少なくとも働けていたんだから、それなりの集中力はあったんだと思います。


…けど、今は無理だなあ…。文章を描くほうが楽ですね。
12年も続いているんだから、楽だし、楽しかったんだと思います。

 

漫画だと私は遅筆だから頻繁に更新は無理だと思います (ーー;)

 

 


「自分」を描くのはとても苦手、という弱点

 


あ、それと、一番抵抗があるのは「自分を描くこと」かもしれません。

 

描いていて楽しいのは「綺麗なもの」「可愛いもの」なので、自分を描くのは

あきらかに楽しくないです。

 

アイコンに使っているうさぎくらいのキャラがせいぜいじゃないかと思います。

頭の中ではよくコマ割りした漫画の形のイメージが浮かぶんですが、

それをちゃんと描く余力が今はないみたいです。

 

介護にしろ病気にしろ、ネタはたくさんありますが…描き手としての

私が駄目なんですね。

 

うーん…。仕方がないけど、ちょっと残念かもしれません。
いつか余力が出来たら描きたいですねえ… (^_^;)

 

今日はあんまり元気じゃなくて、短めです、すみません。

 

 

昔、人さまのサイトで描かせてもらったアナログ原稿を持ってきました。
もう20年くらい前の作品です。まったくのアナログペン画作品です。

 

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詳細はこちらのサイトの「斎宮物語」のページをご覧くださいませ (^_^;)

 

XIANGの歴史マンガのページ

 

もう10年以上更新されていませんが…。

 

 

 

 

 

今日のうちの母 ほぼ介護日誌です (^_^;)

 

特養の母の食事事情

 

母のところに行ってきました。

 

以下、介護日誌備忘録です。完全に自分用ですが、こういうことをきちんと書いておくと、あとあと何年経っても正確なことを思い出せます。

 

父のことも10年以上経っても想起できるから自分には大変に意味があると思っています。続けないと意味ないですけどね (^_^;)

 


先週、まだちゃんとしたケアプランの書類が出来ていなかったので、まずケアマネさんにお会いして話して、書類にサインしてきました。

 

嚥下機能があるのに、ちゃんと嚥下出来ないことはケアマネさんも残念がってくださるのですが、誤嚥性肺炎になるほうが怖いので、無理なく行くしかありません。

 

だから今は朝夕に胃ろうからの食事を一日800kcalと、お昼に白湯を250㎖もらっているそうです。

 

無意識に右手が出ることもあるので、チューブが外れないように、食事中だけタオルなどを巻いています、と、看護師さん。まあ、前に行ったらはずれてたからこれは仕方がありません。

 

 

 

コミュニケーションまわりのこと


ケアマネさんの話では、私に対しては「はよ帰り」ですが、見知らぬ人、たとえば入居者さんのご家族などには躊躇なく話しかけたりしているようなので、それも母の本質的な「人見知りをしない性格、電車で隣合わせた人とでも親しく話してた」ところがそのまま残っていますね。

 

私だとなにしろ家族で珍しい話題もないから「はよ帰り」になるわけだ。納得。

 

知らない人と話すこともそれなりに気分転換になると思うので、食堂に座れるようになるといいですね。

 

仙骨の褥瘡は完治したので、あとは脚だけですよ」と看護師さん。このあと皮膚科の往診があります、とのことで、みなさん、協力してくださっているのがありがたいです (^_^)

 

ついでに話かけてもくださるんですが「しなこちゃん、体調はどう?」と言われて「あかん」「ひとことで終わってしもうた(苦笑)」

 

 

 

BGMもそれなりに

 


ラジオもちいさな音でかけてくださっているようですが、母もわりと一人でいるのが苦にならないようです。私もCDかけて帰ってきましたが。

 

ケアマネさんには部屋に飾ってあるイラストの展示替えをお願いされたので、来週はフレームをいくつかと、別の作品を持参しないといけません。A2の作品は…やっぱり丸めて行くしかないなあ…。

 


そういう次第でございます。完全に備忘録でした (^_^;)

 

 

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いろいろなことに「意味」を見つける人生のようです

 

サブリミナルミュージック?って気持ちいい?


昨日、お絵描きしながら、いろいろ検索していたら、偶然にこういう動画というか、音楽に辿り着きました。

 


いいことが次々と起こる! “サブリミナル音楽”|Call Happy "Subliminal Music"

 

ちょうどお絵描きのBGMになるかな?と思って流していたんですが、同じ旋律の繰り返しと、いまいち自然じゃない「間」がなんとも不安を誘って、次第に飽きてきたのもありますし、「なるほど不眠には効果があるかもね」とは思いました。

 

でも1時間あまり続くと、これが次第に苦行のように感じてきました。潜在意識に働きかけるというけど、私の潜在意識はむしろ拒否しているように感じる。落ち着くどころかイライラが強くなってるし…。

 

駄目だ、私には合わないみたい。気持ちが悪い。これは私の直感的なものですが、そういうサインには正直に従います。

 

コメントを見ると、結構いいようなことを言っている人もいるんだけど、みなさん、気持ち悪くないのかなあ?と正直なところ思いました (ーー;) もしかしたらいいことあるかもしれませんが、その時はその時で考えます (^_^;)

 

「サブリミナル」という言葉にもいいイメージがないんですよね。洗脳を思い出すから…。「洗脳」は私とはもっとも相性が悪いものです。自分に有益なものはどこまでも自分で見つけたいですから…。少なくとも普通の音楽とか、ヒーリングでも「Feel」みたいな方が気持ちがいいな、と思います (^_^;)

 

 


「フォーカシング」って言うんだね


で、もうひとつ。こちらもTwitterでたまたま目にしました。「フォーカシング」という言葉。

検索してみるとこういうことらしいです。

 

フォーカシング - Wikipedia

 

うーん…。内観みたいなもの??

 

ここがわかりやすいかも。

 

フォーカシングとは?

フォーカシングとは? - 自律神経失調症の心理療法

 

ーー自律神経失調症心理療法でのフォーカシングは、偏頭痛や胃の不快感といった体の感覚・症状にフォーカスを合わせて、心と体のバランスをとりながら原因を見つけていきます。ーー

 

自律神経関係のあれこれは馴染んだ分野だなあ。心は身体の状態として現れるというのはわかりますが…。

 

この方法は私がいままでに自分で見つけ出してやってきたものではないかしら?認知行動療法もそうですが、自分がなんとなくそういうものに気付いてやってきて、それでいろいろと改善して、あとから「へえ、そういう名前だったんだ」と知ることも多いというか…。

 

読んだ本の内容に既視感みたいなものを感じることがほとんどになりましたが、こういうことにも既視感みたいなことを感じるようになったみたいです。不思議だなあ…。

 

 

病気になる意味


私は「病気になること」や「病気が治るタイミング」やら「病気がなかなか治らない」ことなどにもすべてに「その理由」を感じている気がします。

 

「この病気になったのはどういう理由だろう?」とか「それまであまり効果がなかったように感じていた薬の効き目が現れて、このタイミングで快方に向ったのはどうしてだろう?」とか「なかなか改善しないのはどうしてだろう?」とか、そういうことすべてに意味を求めてしまう人間なのですね。

 

血圧が正常値に戻った謎とか、そういうのもいままでに振り返るとたくさんありました。

 

そういうことが重なると、いろいろな段階でも「意味」を考えてしまうようになります。

 

例えば「双極性2型障害になった理由」とか「なかなか寛解しない理由」とか。それは良くなるにこしたことはないんですが、よくならないことにもそれなりの理由があるんだ、と考えてしまいます。

 

「いまここで病気になる理由はなんだろう?」とかね (^_^;)

 

だから私は病気になっても絶望しないタイプの人間だと思います。あらゆることに意味を求めてしまうけど、実際にその「意味が見つかる」パターンもとても多いので…。

 

私にとっては「病気になるのも意味がある」から「きちんと治療するのはもちろんだけど、課題を見つけてきちんとクリアすればおのずと快方に向う」こともあると思っています。いままでの体験の中ではそうだとしか思えないことも多くて…。

 

だから「なかなか改善しない」というのもあまり落ち込む材料にはならないかな? (^_^;) 「治らないなりに必要な役割があるんだ」と現状では思っています。

 

どういう立場になってもあんまり落ち込まない感じかもしれません (^_^;)

 

 

ついでに言えば死ぬのもあんまり怖くないかもしれません。「卒業」もしくは「ゴール」だから。ちゃんとやるべきことをやって、やっと休めるよ、みたいなイメージで。気持ちよく眠るためには、生きているあいだにそれなりに疲れる必要があるんだろうな、と思っております (^_^;)

 

 


今日は母の所に行ってこようと思います (^_^)

 

 

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