サブリミナルミュージック?って気持ちいい?
昨日、お絵描きしながら、いろいろ検索していたら、偶然にこういう動画というか、音楽に辿り着きました。
いいことが次々と起こる! “サブリミナル音楽”|Call Happy "Subliminal Music"
ちょうどお絵描きのBGMになるかな?と思って流していたんですが、同じ旋律の繰り返しと、いまいち自然じゃない「間」がなんとも不安を誘って、次第に飽きてきたのもありますし、「なるほど不眠には効果があるかもね」とは思いました。
でも1時間あまり続くと、これが次第に苦行のように感じてきました。潜在意識に働きかけるというけど、私の潜在意識はむしろ拒否しているように感じる。落ち着くどころかイライラが強くなってるし…。
駄目だ、私には合わないみたい。気持ちが悪い。これは私の直感的なものですが、そういうサインには正直に従います。
コメントを見ると、結構いいようなことを言っている人もいるんだけど、みなさん、気持ち悪くないのかなあ?と正直なところ思いました (ーー;) もしかしたらいいことあるかもしれませんが、その時はその時で考えます (^_^;)
「サブリミナル」という言葉にもいいイメージがないんですよね。洗脳を思い出すから…。「洗脳」は私とはもっとも相性が悪いものです。自分に有益なものはどこまでも自分で見つけたいですから…。少なくとも普通の音楽とか、ヒーリングでも「Feel」みたいな方が気持ちがいいな、と思います (^_^;)
「フォーカシング」って言うんだね
で、もうひとつ。こちらもTwitterでたまたま目にしました。「フォーカシング」という言葉。
検索してみるとこういうことらしいです。
うーん…。内観みたいなもの??
ここがわかりやすいかも。
フォーカシングとは?
ーー自律神経失調症の心理療法でのフォーカシングは、偏頭痛や胃の不快感といった体の感覚・症状にフォーカスを合わせて、心と体のバランスをとりながら原因を見つけていきます。ーー
自律神経関係のあれこれは馴染んだ分野だなあ。心は身体の状態として現れるというのはわかりますが…。
この方法は私がいままでに自分で見つけ出してやってきたものではないかしら?認知行動療法もそうですが、自分がなんとなくそういうものに気付いてやってきて、それでいろいろと改善して、あとから「へえ、そういう名前だったんだ」と知ることも多いというか…。
読んだ本の内容に既視感みたいなものを感じることがほとんどになりましたが、こういうことにも既視感みたいなことを感じるようになったみたいです。不思議だなあ…。
病気になる意味
私は「病気になること」や「病気が治るタイミング」やら「病気がなかなか治らない」ことなどにもすべてに「その理由」を感じている気がします。
「この病気になったのはどういう理由だろう?」とか「それまであまり効果がなかったように感じていた薬の効き目が現れて、このタイミングで快方に向ったのはどうしてだろう?」とか「なかなか改善しないのはどうしてだろう?」とか、そういうことすべてに意味を求めてしまう人間なのですね。
血圧が正常値に戻った謎とか、そういうのもいままでに振り返るとたくさんありました。
そういうことが重なると、いろいろな段階でも「意味」を考えてしまうようになります。
例えば「双極性2型障害になった理由」とか「なかなか寛解しない理由」とか。それは良くなるにこしたことはないんですが、よくならないことにもそれなりの理由があるんだ、と考えてしまいます。
「いまここで病気になる理由はなんだろう?」とかね (^_^;)
だから私は病気になっても絶望しないタイプの人間だと思います。あらゆることに意味を求めてしまうけど、実際にその「意味が見つかる」パターンもとても多いので…。
私にとっては「病気になるのも意味がある」から「きちんと治療するのはもちろんだけど、課題を見つけてきちんとクリアすればおのずと快方に向う」こともあると思っています。いままでの体験の中ではそうだとしか思えないことも多くて…。
だから「なかなか改善しない」というのもあまり落ち込む材料にはならないかな? (^_^;) 「治らないなりに必要な役割があるんだ」と現状では思っています。
どういう立場になってもあんまり落ち込まない感じかもしれません (^_^;)
ついでに言えば死ぬのもあんまり怖くないかもしれません。「卒業」もしくは「ゴール」だから。ちゃんとやるべきことをやって、やっと休めるよ、みたいなイメージで。気持ちよく眠るためには、生きているあいだにそれなりに疲れる必要があるんだろうな、と思っております (^_^;)
今日は母の所に行ってこようと思います (^_^)