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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

自分が自分であることがいかに難しいか実感してしまう

 

病気になったのは誰かのせい?


クリニックの受診日でした。朝4時半から起きているのでしんどいです。

 

今日は弟も一緒に行ったんですが…。いつも母の現状も伝えているので、先週のカンファレンスの時の用紙をコピーして持参して渡してきました。

 

そこで先生が弟に「お母さんのところにも行かないのか?」と尋ねられたら、弟は否定して「多分ずっと行かないと思う。自分がこうなったのは母のせいだと恨んでいるから」と言いました。…意外だ。そうなのか?なにがどうなって母のせいだと思うんだろうか?

 

ずっと一緒に育ってきて、そういう心理状態に至る理由が私にはよくわかりません。遺伝的なものはあると思うけど、それはどうしようもないことだからなあ…。

 

そもそも精神的な病気だけじゃなくて、肉体的な病気だって「誰かのせいでなった」という意識が自分にはありませんし…。よほど無茶もしていないから「自分のせいでなった」とも思わないし…。

 

うーん…。なんだろう?マイナスに思える要素って私にとっては「人生の課題」なんですよね〜。それをどういうふうに乗り越えて片づけていくか?ということなんで、本来の「病気」にはプラスもマイナスもなく、あるいはプラスもマイナスもある、というふうに思っています。

 

姉弟でもそれだけ認識が違います。これでは手助けなんか期待出来ないとしみじみ…。

 

弟のこういうところもある種の認知の違いっていうのかなあ?どちらが正しいのかはわかりませんが、同じように生まれ育っても、とにかく全然違うことだけは理解できました。過去には「祖母のせい」だと言ってたこともあるなあ、と思い出しましたし…。

 

「誰かのせい」と言っているうちは本当に改善しないんじゃないかとも考えてしまいます (ーー;)

 

私の認識では母のことと自分の病気とは原因になる因果関係がないので、なんとも不可解で哀しくもありますが…。…てか、むしろショックでもある。母と同じ味になると喜んでるのはなんなんだ?と思ってしまうじゃないか… (/_;)

 

 


「自分軸」で生きるということ


「自分軸」という言葉、私はわりと最近知りました。

 

「自分軸」と「自己中心」とはもちろんまったく違います。「自分軸」っていうのは「自分の価値観」なんだなあ、と私は思っています。自分の中に確固たる独自の価値観があるから、なにを決めるのもそれが指針になって、他人の意見はちゃんと聞くし、取り入れてもいいと判断したことは取り入れもするけれど、結局は一時的に揺らいでももとの自分の中心に戻ってくる、という感じでしょうか?

 

地球ゴマ」というのがあったけど、ああいうイメージかな?


こういうページを見つけました。

心理学関係のページのようですが…。

 

www.nlp.co.jp

 

「あなたには、ご自身が全くぶれることのない、確固たる軸がありますか?」


…私は「はい」と即答出来るけど、それが出来ない人が多いから、こういうセミナーみたいなものが人気になるんだろうなー。

 

気付いた時から自分軸を持っていて、その価値観に添ってしか生きてこなかった私にとっては、他人の価値観で自分の方向を決めるなんて不安なことがどうしても出来ないんですけど… (ーー;) 「みんなと同じにしないといけいない」ことほど不安なことってないですか?私はそれが非常にキモチワルイです (ーー;)

 

人間は百人百様なんだから、価値観も百様で、他人を不幸にするようなことをしてはいけないと思いますが、それ以外はどういう選択をしても自由だと思うけど、でも「みんなと同じ」じゃないと…って人が多いんだよね。不思議。

 

「みんなと同じ」を意識すると、おのずと優劣や勝敗を意識するようになります。勝ち負けが出来てしまうのは、同じ価値観で自分と他人を比較してしまうからなんですよね~。

 

Aさんはいい大学を出て一流企業に就職したのに、自分はうまくいかなかったとか、就活が上手くいかないから、と敗北感で落ち込んでしまうとか…。

 

いろんな方向性があってもいいんだと思います。伝統的な技術を身に付けるとか、とても具体的にやりたいことがあるから、学校辞めて起業します、とか(でも3、4年のことで焦る必要がなければちゃんと区切りをつけたほうがいいと思うけど)そういうのでもいいと思うし、「持たない生活」でそれなりにクリエイティブに生きたい、というのも悪くないと思うし…(ただし、忘れて欲しくないのは人間生身だから、病気やケガをすることもあるし、障害などを負うことになっても困らない気概と対策は持って欲しいと思います)。

 

まあ、自分軸もいろいろあって、それに正直に生きるのは悪くないよね (^_^;)

 

 


他人と自分を比較してしまう苦痛がある


こういうサイトがあります。

 

hasunoha.jp

 

生きる人の悩みにお坊さん達が答えようというサイトです。震災をきっかけに出来たみたいです。

 

私はずっと宗教者にこういう姿勢であって欲しいと願っていたので、喜ばしい限りです (^_^)

 

で、ここに寄せられている悩みを見ていると、やはり「自分と他人をついつい比較してしまう」ことで生じる悩みが半分くらいあるのではないかと感じてしまいます。多いですよね。

 

本来は自分軸を持って、他人と比較することなく生きていれば、そもそもの幸福感も違ってくるわけですから、そんなに自分の不幸を嘆く必要もないと思うのですが…。

 

「みんなと同じ」で安心するから「みんなとは違う」ことに不安を感じるのですね。どうしてみんなと同じでないといけないの?

 

自分の価値観で生きることは孤独ですが、自由ですし、幸せを感じる力が自分の中に湧いてくるという実感が得られます。そう、幸せって誰かが運んでくれるのではなくて、自分が見つけ出すものなんですよね。どんなにひどい状況に思えるところにも見つけ出せるものがある…。

 

 


「なにものでもない私」でも悪くないじゃないか


そういうことを検索していたら、またまたYukiさんのページに辿り着いてしまったので、これはもう、Yukiさんとかよほど興味や関心の方向が近いんだなあ、と笑ってしまいました (^_^;)

 

susumu-akashi.com

 

良記事なので、是非ともお読みいただきたいと思います (^_^)

 

私の逆境はやはり自分の病気と深く関係があると思います。入院を繰り返した幼児期と、立ち止まらずを得なかった10代後半と。まあ、10代後半の時はすでに「人とは違う」ことが苦痛じゃなかったので、自己確認のためにあったような気がしますけど…。

 

両親は「とにかく生きていてくれたらいい」と思っていたふしもありますし、その「弱さ」をマイナスだと認識させなかったというのもあります。それでもって、幼児期にすでにお絵描きと読書に無上の喜びを見つけ出していた私は、価値観をそこに置いちゃって、それがいまだに変わっていないわけです。10代後半で再認識したから余計に強くなったかな? (^_^;)

 

どう考えてもビジネスとかそっち方面に魅力を感じないのはどうしようもありません。もともと向いていないのだと思います。やっぱりクリエイティブというか、ものを作り出すことが好き。だからブランド物よりもハンドメイドの作品に大きな価値を見いだすようになりました。

 

こういうのも悪くないと思うな。少なくとも自分は不幸だとは感じなくていいし。

 

社会的な成功は必要ではないのです。自分自身が選択してきた人生を自分なりに正直に生きる、ということ。確かに幸福を見つけやすい日々に満ちていると感じます… (^_^;)

 

 

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