憎まれ口以上かも…
昨日は介護の漫画を見たおかげで、自分も介護関係のあらゆることを思い出して、よく泣いてました。いや、私が泣いてる原因はいい思い出ばかりなんですが。
同じ介護士さんのこの漫画も読んだから、またいろいろ考えてしまいました。
そうかあ…、各事業所の中でうわさになってるんだなあ。絶対にいい気持ちしませんよね、こんな言われ方。この利用者さん、どういう人生を送ってこられたんだろうと、むしろ気の毒に思います。だからどこも「来てください」とは言わないわな。介護士さんのモチベーション低下も激しくなるだろうし、明らかに侮辱ですし。昨日シェアした、心配してくれるおばあちゃんたちとえらい違いです。
ひっそり亡くなられていたそうで、人生の終わりに、やっぱりそういう因果応報みたいな結果になってしまったんだなあ、と思います。
やっぱり人生の総括になってしまうのね、否応なしに。
偉いお仕事、と母が言った
30数年前、祖母は血圧が上がり、でもアレルギーのせいでうっかり薬が飲めず、幻覚などの一時的な問題が起きたために、出来たばかりの老人病院に入院しました。母は毎週祖母のお見舞いを続けていました。3〜4年お世話になったと思います。
当時は紙おむつではなくて、その病院では布おむつを使用してたので、おむつ交換を初めとする介護のあれこれを母はよく見ていて「偉いなあ、あの人たち。(死んだら)ええところへ行かはるで」と感激していました。まあ、身内も他人もよく面倒をみてきた母のことだから、素直な気持ちだったと思います。
のちに父の介護を始めて、下剤を使った時などは多いと一晩に数回もおむつ交換するはめになって(父は大柄なので、一人ではとても無理)「まあ、私らも結構やれてるね (^_^;)」と二人して笑ったものですが。
ああいう母のこと、寝たきりでなければ、昨日の漫画のおばあちゃんみたいに、よく気がついて世話をしたがるタイプだったと思います。そういう人なんだ。
母の価値観=私の価値観に近い
聖職と違っても、母の価値観で言えば、「尊い仕事=他人さまのお役に立てること」なので、広義の意味ではほぼすべての仕事になります。
が、やはり直接に生身の人間を相手にする仕事は価値あるものと言えましょうか。
保育、教育、医療、介護…。そういう仕事ですね。そういう仕事に価値を見いだしていたと思われます。母自身が人の世話をすることで、生き甲斐を感じていたのは確かで、今はそれが無理なのが可哀想なんですけど…。
入所した当初はよく他の入所者さんに眼を配っていて、忙しい介護士さんに「あのおばあちゃん、眠たいみたいやで」とか、知らせていたみたいですし…。人に親切にしたい、役立ちたい、という気持ちはおそらく私も継いでいると思います。
まあ、そういう母ですから、弟の離婚後もずっと仕送りを続けていた甥と姪が成人して、消防士(兼レスキュー隊員)と介護士という人さまの役に立てる仕事に就いたのは本望であって、誇りでもあると思います。
おかげさまで母に言わせると私も「自慢の娘」だそうですから、母の価値観では職業に貴賎はなく、私らしくあることがやっぱり本望なのだと思います。
私を偏見を持たない人間に育ててくれた両親に感謝しています。
プロとして対等に (^_^)
こういう私でもささやかなプロ意識は持っていますし、介護士さんもプロ意識と誇りを持ってお仕事されているのだとよくわかります。対等ですね、どこまで行っても。プロにお任せしておけば安心、というのは大変嬉しいことでもあります。
タクシーの運転手さんとかもみんなそうだよ。その道のプロとして対等なんです。当然だよね。みんなそうなのよ。プロの仕事には相応の敬意を払います。当然のことです。
もっとなんというかエンタテーメント性に富んだ特技でもあれば(音楽とか歌とかさ)、特養でボランティアしたいですが、そういう才能はないので、出来なくてちょっと残念です (^_^;)
月曜日は自分たちの受診日なんですが、行ければ明日か火曜日くらいに母のところに行こうかなあ…。
SMAPは3枚組でさだまさしトーク集は4枚組なんですよね。忙しい介護士さんたちにディスク交換して、とお願いするのは申し訳ないので、私が行って交換してこないとさ…。