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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

転んでも挫折しても起き上がることの意義とパワーと

自分の病気であまり動かないのもありますが、このごろの私、わりと自転車ごと転ぶことが多いような気がします。

 

一昨年はバックしてきた車に横からぶつかられて自転車ごと転んだ交通事故で、まあ、不可抗力と言えばそうですが、去年は自転車で買物に行く時になにかでバランスが取れなくなって、もしくは荷物が重くて転んでいます。その時はガラケーの液晶画面を道連れにしました (ーー;)

 

歳を重ねるにつれて、もともと鈍い運動神経の私なので、反射的に動けないこともままあるんですよね。小さい子なんかは、幼稚園児くらいになると、転んでも泣かずにすぐにバネみたいに立ち上がったりします。あれはすごいですよね。身軽なのもありますけど…。

 

 

 

まあ、あちこちに老化現象も感じつつある私ですが、肉体的にはダメージを受けても、そのかわりに精神的に気付くものがあったりします。

 

ケガをしたくないから「転ばないようにする」というのも結構集中力がいりますし、集中力があっても事故のように外からの力で否応無しに転ばされることもあります。

 

でも本当に大変なのは「転んでも再び立ち上がること」じゃないかと思うんですよね。子供の時は身軽に対応出来ても、大人になると、ましてや歳を重ねるにつれて、再び立ち上がることがとてもエネルギーを要するようになってきますしね。荷物を背負っていて、それを一旦置いては駄目な場合などは荷物ごと立ち上がる必要に迫られることもありますし。

 

これって、やっぱり「転倒する=挫折する」という図式だなあ、と思うんですよね。子供のうちの挫折はまだ心身が柔軟性にとんでいる分、比較的早く立ち上がることが出来て、ダメージも少なかったりします。でも大人になるとそうはいかなくて、立ち上がるのにものすごい底力を要求されることが多いです。挫折からの再出発ということの大変さ、きっと半端じゃありません。

 

下手すると骨折しているかもしれないし、他の誰かや家族を巻き込んでいるかもしれませんし。

 


でもね、そうやって大人が転んで、そこからまた立ち直って、なんとかもとの立ち位置に戻ったら、その時には相当転ぶ前よりも強い力がついているはずなんですよね。無意識のうちにいろんなことを学ぶから、底力が強くなってるんですね。立ち上がる時に要する力って半端じゃないです。それを知っている人は自然に強くなっているんだと私は感じています。

 

挫折は失敗みたいに言いますが、その挫折からなにかを学んで掴んで立ち上がったら、もうすでにそれは失敗でもなんでもなくて、「すごいいい経験をした」ということになっていると思います。

 


私自身も「転んでもタダでは起きません」と心がけてきたので、肉体的に転んだ時でもついついそちらのことを思い出してしまいます (^_^;) 

 

まあ、交通事故の時は救急車が来るのがわかっていたから、そのまま地面に寝ころんで前後の対応を考えていました。保険のこともあるから、しっかり診察や検査は受けておかないと、と思ってたし。おばさんは慌てず騒がず、事故の時でも呆れるほど冷静でした (^_^;) 

 

…これも底力かもしれません… (^_^;)

 

 

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