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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

そろそろ鬱の底につくはずだと思うんだけど…

つれづれに思うこと アドラー心理学周辺 双極性2型 精神疾患 読書

昨日はとうとうコメントのお返事も書けなくて申し訳ありませんでした。ネットをしている時間が短い上に、そもそも長時間Macの前に座っているのが苦痛でした。こんなこと滅多にないんですが。

 

おかげで傾眠の傾向もあって、長い時間寝ています。今日はクリニックを受診するべく早めに起きましたが。

 

 

不調はいくつもあって、文字が書きづらい他に、今朝はモニタがはっきり見づらいというのもありました。眼精疲労というのかどうかはわかりませんが…。まあ、眼と脳も無関係ではないでしょうしね。

 

これはやっぱり「頑張った反動のうつ」だと思います。前の画集を作った直後の「やり遂げた感というか達成感&満足感」の反動から十分回復していないところで、急ぎの仕事が3つほど重なって、それもやり遂げたせいかなあ、と思います。以前ならこれくらいのこと、べつに大丈夫だったんですが…。波が低いうちにまた無理したのかもしれません。

 

 

双極性障害の理不尽なところは、軽躁の時にはかなり頑張れるから、喜んで頑張ると、あとで必ず反動の鬱が来るというところです。

 

現実に「いまは頑張れる」という自覚のある時は本当に頑張りたいじゃないですか。だってそのことによって達成感や満足感が得られるんだもの。

 

でもその次には必ず反動のうつが来る。波の高さが高ければ反動の沈みも大きいわけです。

 

これでがっくりして、死に至る人の割合もかなり高い(単極のうつ病よりも)病気です。極端なたとえだと天国と地獄を行き来しているような感じですから…。それに耐えられない人がいてもおかしくないと思います。因果な病気だよねえ。しかも一生これと付き合わないといけないわけですから…。

 

 

 

でも、いまの私はもう死のうとは思わないなあ。この病気も含めて「自分が選んだ人生だ」と思っています。病気はなりゆきのようなものですが、遺伝の影響があってもまあ仕方がないです。「疲れた」とはこぼします。だってそれも本当のことだから。

 

でも私にとっての不幸というのは「自分で自分の人生を選択できないこと」だというのは14歳頃にはもうはっきりとわかっていたので、そういうふうには歩いてこなかったし、だからいま現在も不自由や不安はたくさんありますが、だけど全然不幸ではないんですよね。

 

 

 

昨夜途中まで「幸せになる勇気」を読んでいましたが、結局はそういうことも大きいのだと思います。やっぱりアドラー先生ってどこかで私自身との共通点があるよ。頭での理解じゃなくて、もっと深いところからの理解が出来るよ。なんとも不思議な人だと思います。

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

 

コメントやメッセージをくださった方々、どうもありがとうございました。個別にお返事ができなくて申し訳ありません。とりあえず、これから受診してきます。感謝です(^^)

 

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