つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

生命の変化として…

やっぱり予想以上に忙しいです。1時までにこれが書けるかなあ?というので慌てて書いていたりします。横で母がなにか催促しているので、中断の可能性も大きいですが (ーー;) こういう状態もまだこの先少なくとも3,4日は続くのね〜。まあ、その先も続きますが。 昨夜、ラブログの方に行って見たら、Seesaaブログへの移行手続きが簡単に出来るようになっていて、最初の設定さえ済めばあとは自動で…というふうになってましたので、画像データ救出のために移行だけはしてきました。本当にほっといて他のことをしているうちに終わってしまったので、自力でエクスポート&インポートをやるよりも楽なのは確かですね。まあ、かといってあちらのブログはカスタマイズの自由度もテンプレートの種類も少ないので、飽きっぽい私には向かないだろうな、と思います。 画像データも9割以上はカスタマイズ用のもので、フォトはほとんどありませんし、まあ多分不要だとは思いますが。画像データの多い人には楽な引っ越しだろうな、と思います。 本来書くべきネタがあったのですが、忘れてしまったので、さっき「Gunosy」から拾った話題を。 「頭の中がほとんど空洞化、脳がわずかしか存在しないのに44歳まで普通に暮らしてきた男性」 かなり驚く話題です。たとえば認知症と脳の萎縮には関係がありますよね。でもこの男性の場合は萎縮どころじゃないですね。それでも脳に病変があったのがごく幼い時だったので、もしかしたら残った脳の部分にフォロー出来るだけの神経回路が出来たのかなあ?…と、私など素人ですからそういう想像をしてしまいます。かなり以前ですが、事故だったかで脳の半分を失った少年の話を見たことがあります。その少年の場合も残った半分が失った半分のフォローをするべく働いていたということです。 「成長する」ということはどうもそういうハンデキャップを補える可能性が大きいんだなあ、と思います。老化する場合はそうはいきませんし…だから認知症になってしまうんだろうな。生命の一生を考えると本当に興味深い話だと思います。認知症も老化の一過程だと考えるべきなのかなあ?それも自然の変化だとしたらやはりなんらかの意味があるのかもしれませんね。