認知症の患者さんはユーモアを理解できるのか?
昨日、ふとしたことで疑問に思ったことがありました。それは「認知症になるとユーモアがわからなくなるのか?」ということでした。
私はそんなに長く多くの高齢者の方とお付き合いしたこともないし、母の特養に毎週行って、そこで出会う方々の様子をちょっとだけ伺うくらいしか出来ていませんが、皆さん静かだったと思います。朝イチだから皆さんそんなに活発ではなかったと思いますが…。
それで、もしかしたら認知症が進むとユーモアなどがわからなくなるかも、と仮定するとなんだか個人的にすごくショックだったんですよね。自分でも不思議ですが。
これを見ると、やはりユーモアを解する部位は侵されやすいように書かれています。
あんまり具体的な例を知らなくてすみません
両親のことを振り返る…。
父は脳梗塞で倒れる前に、ちょっと幻覚を見たりしてレビー小体型認知症の初期を疑わせるものがありました。ガソリンスタンドからの帰り道がわからなくなったり、分解した扇風機のしまい方がわからなくなったり、母と私の間に子供が寝ていると言ったり。もしも脳梗塞にならなければ、もっと強い認知症の傾向が出ていたかもしれません。
脳が半分死んでたから、笑うことはほとんどなかったように思います。
母の場合、最後の方はほとんど話さなくなって、お世話してくださった介護士さんたちの頭を右手で撫でていたりしたそうですが、特養のケアマネさんが「時々笑ってくださいます」とおっしゃっていたので、認知症があるとしても強いものではなかったのかもしれませんが。母に関してはあんまり認知症の話を聞かないんですよねー。
まあ、でも私は「何をどうしたら喜んでくれるかな?」と思って訪ねて行くので、出来たら笑わせたいわけですが、あんまりうまくいきませんでした。うーん…。笑わせたい、というのは難儀なことなのかなあ?…と思っていたらこの文章に出会いました。
かなり前の2010年かな?の文章ですけど。
これを読んで、やっとちょっと気持ちが楽になりました。
人類の特権なのかな?
どうも私は「ユーモアが理解できなくなること」がえらく怖いと感じているみたいですね。これ読んでよくわかったわー。ユーモアは人生の潤滑油だもんね。これがない味気ない世界はつまらないです。
ただし、テレビなどのお笑い番組は好きじゃないですが。もっと自然に笑えたら、と思います。
ユーモアと関係ないかもしれませんが、バスの中で知らない赤ちゃんと目が合って、お母さんは別の方向を見ておられるけど、赤ちゃんがにこ(^_^) こちらも自然とにこ(^_^) また赤ちゃんがにこ(^_^) つられてまたにこ(^_^) (以下、無限ループ)…みたいな、ああいう幸せな体験もありませんね〜(^_^)
ああいうひと時が高齢者とも持てたら最高だと思いますし。
「笑う」っていうのは高度な脳の機能に与えられた特権みたいなところがありますよね。そういう幸福はできるだけ活用したいなあ、と思います。類人猿も笑い顔はしてくれますし、笑いのツボはわかっているようにも思えますが、やはり自然に笑えるのは人間だけなんですよね。
明日はクリニックの受診日なので、ブログ書けない可能性もあります。
行けたら内科の薬ももらってこようかなあ、と思いますし…。
線画が完成しました。
領布の部分は別レイヤー。